経済広報

『経済広報』(2012年2月号)掲載

企業広報功労・奨励賞を受賞して
東レ広報の27年間の歩みとこれからの企業広報
斉藤 典彦

斉藤 典彦(さいとう のりひこ)
東レ(株) 専務取締役

はじめに/広報との出会い

 企業広報賞は、私が広報を担当し始めた1984年に発足した賞であることから思い入れもあり、今回の受賞を大変うれしく思っている。
 私は1969年に東洋レーヨン(現 東レ)に入社し、繊維営業に15年間専念した後、1984年に広報宣伝室(現 広報室)広報課に異動になった。その異動前後に、企業の在り方について考えさせられる出来事があり、それらが企業広報に取り組む原点となった。
 ひとつは、味の素がなぜミュージカル「キャッツ」を後援したかについて歌田勝弘社長(当時)のインタビュー記事を目にしたこと。歌田氏は「企業は社会との関わりを深めていかなければならない。文化的情報発信が必要だ」と話していた。私は、社会に目を開くことが広報だと感じた。
 次に印象的だったのは、グリコ・森永事件である。かい人21面相という反社会的集団による企業への攻撃、それにマスコミも振り回された。企業広報の巧拙を知ることとなった。
 さらに、1984年に設立されたアイ・アール ジャパンの鶴野史朗社長(当時)と出会い、IRと広報の違い、組織対応の在り方などについて議論を重ね、IRと広報を同次元、同列で考えるようになった。

東レの広報組織の変遷

 日本における広報は戦後、GHQがPRを持ち込み、それを「広報」と訳したのが始まりだ。1950年代には民間でもマスコミや社外問い合わせ対応など渉外窓口が必要と認識されだして、東レでは1956年に総務部に弘報課を新設した。いわば、「防衛広報の時代」であった。
 その後、1960年代の高度経済成長時代に消費者に合成繊維をアピールするべく、ミニスカート・ブームなどを仕掛けた東レでは、1964年に広報宣伝部を発足させ、キャンペーン・プロモーションのパブリシティーを担当した広報課は、いわば「マーケティング広報」を展開した。
 そして1984年、私が広報宣伝室広報課に異動した時期こそ、「企業広報の時代」の黎明期に重なっていた。折しも会社創立60周年のタイミングでもあり、1986年には「CI宣言」と称して新しいコーポレート・シンボルや企業理念を導入した。
 1987年には、広報課と人事部社内報グループを合体し、社長直轄の広報室が発足した。当時の前田勝之助社長から、「情報を集約するには、社長直轄がよい。“攻めと守り”、“社長と一体”、“嘘をつかない”広報をやれ」と言われた。「企業広報」とは、経営の透明性や説明責任を問われる時代における、「社長の率先垂範による広報」である。

広報課長に就任して考え、実践したこと

 1985年に広報課長に就任したが、前任者は、「記事が出ても出なくても文句を言われるが、どちらかと言えば出ない方がよい」と言った。これに対し、私は「『事なかれ広報』は会社のためにならない。私は『事起こし広報』をやる」と答えた。また、当時「取材対応した人に迷惑が掛かるから、誰が対応したか取材源は決して漏らしてはならない」と言われたのに対し、「会社を背負って取材対応する人が、無責任な発言をしないように指導する、あるいは、記者にレクチャーをして誤報を避けるのが広報の役割ではないか」と考え、実行した。自分なりに“あるべき広報”を考え、「こうあるべき」と思うことを実践した。

報道の影響の大きさを知った出来事

 私が広報課へ異動する前の1977年、ある一般紙の一面トップに、「東レ、繊維から撤退」という記事が出た。私は当時、繊維営業を担当していたが、営業先に「撤退すると新聞に記事が出ていたのに、何をしに来たのか」と言われた。私には、なぜそのような記事が出たのか分からないし、トップの考えは知らないが、今月のノルマは売らないといけない、「会社は一体何をしているのか」と憤りを感じた。
 結論から言うと、この記事は誤報だった。その誤報の真犯人は記者ではなく、取材対応した役員と陪席した広報担当者である。やりとりの中で、広報担当者は記者が誤解していることを分かっていた。記者が、「東レは繊維をいつまでやるのですか。繊維産業はもう衰退ですよね」と言うのに対し、役員は、「そうだな、いつまでも繊維にかじりついていても仕方ないだろう。いつかやめることになるだろう」と曖昧な回答を繰り返した。広報担当者は役員にその場で注意せず、取材後、記者に「“たら・れば”ばかりの話だから書かないでくれ」と頼んだが、記事になってしまった。
 誤報を書かれるのは最低だ。取材に陪席する広報担当者には責任があることを忘れてはならない。不埒(ふらち)な発言をする役員がいれば、広報担当者は「刺し違えても制する覚悟」が必要だ。

広報課長・室長として行ったこと

 広報活動の実務のポイントとして、「誤報の根絶」と「精度・速度・頻度の向上」を意識した。また、広報室を東レグループの情報受発信センターと位置付けるべく、グループ内の情報を集約・分析・整理するとともに、一般紙誌・専門紙誌の記者とのコミュニケーションを図ることによって発信力を高め、平均月10件のプレスリリースを継続した。
 社外評価を高めることも意識し、経済広報センターが1984年に発足した企業広報賞をもらえるような会社にしたいと思った。3年後に伊藤昌壽会長が経営者賞を受賞、その6年後の前田社長時代に優秀賞を受賞。そして、前任の渋谷高允室長が常務在任中に、功労・奨励賞を受賞。3賞を受賞した会社1号となることができた。
 社内広報も活性化を図り、2つの和文社内報の充実に加えて、1989年には英文社内報を発刊した。1996年には70周年事業として、東レウェブサイトを立ち上げ、充実を図った。
 1999年に広報室IR課を新設し、2002年には、社長直轄のIR室を発足させた。私は、広報室長を後進に譲り、広報室と宣伝室を役員として担当しつつ、初代IR室長を務めた。
 また、全社委員会の草分けとして発足した広報委員会の下部組織として、時限で企業文化小委員会をつくり、1989年から丸2年間議論した上で、1992年には全社運動として「ID(アイデンティティー)2000運動」を始め、1995年には「経営理念体系」を制定した。さらに1989年当時、同様に地球環境小委員会を立ち上げ、全社委員会としての地球環境委員会や地球環境研究所の設立を提案した。社会や社員の意識の変化に即して、企業が変革する動きを広報の立場から仕掛けてきた。

東レグループのCSR活動

 2003年にはCSR委員会を発足させ、後にCSR推進室を発足させることになるのだが、当初は「社会貢献なら昔からやっている」などと社内ではCSR(企業の社会的責任)の導入に抵抗もあった。私は、「これまで大過なくやってきたが、これから先100年、200年と会社が健全に成長・存続するために、今やるべきことをやるのがCSR」と説いて理解を得てきた。
 2004年に経団連がCSRの観点から見直した「企業行動憲章」をもとに、東レグループの「CSRガイドライン10項目」を策定した。今はCSR推進室が窓口となって東レグループ全体のCSR推進を担っている。
 現在、私は「CSR全般総括」という立場にあるが、「経済、社会、環境がCSRのトリプルボトムライン」であることから、「経済」に含まれるであろう「業績」も、そしてステークホルダーの企業評価が「企業価値」を形成するのだから「株価」も大事、そして、何よりも「企業は社会のもの」と心得ることが重要だと感じている。
 一方で、ステークホルダー間の利害の調整は難しい。例えば、寄付をするにしても、配当の増額よりも寄付に意味があることを株主に対して説明しなくてはならない。CSRとは、変化する社会との関わりの中で、会社としてどのように実態の変革を進めるか、会社を良くしながら社会とどう関わるか、を常に考えるということだと思う。広報は経営そのものであるが、CSRも経営そのものなので、言うなれば「経営=広報=CSR」、全てイコールのものと考えている。

これからの広報/新興国における広報

 企業活動が国境を超えていく中で、新興国での広報活動はとても難しいと感じている。情報の行き来がフリーでない国や、マスメディアとの関わり方も日本とは明らかに違う国がある。例えば、中国での記者会見では、記者から「お車代は幾ら出るか」と聞かれたり、日本では放映権料をもらえるイベントについても、中国では逆に放映料金をテレビ局に支払うことになる。
 また、グループ内広報に関しても、言語の壁があり、現地社員とのコミュニケーションは難しい。製造現場のオペレーターの使う言語は、東レグループの海外拠点がある22カ国・地域で10カ国語を超える。そのため、言語が違う社員のベクトルをどう合わせていくかというのも課題である。

社内広報・グループ内広報の重要性

 長年広報に携わってきて、社内コミュニケーションが極めて重要だと感じている。社内広報とは、国境を超えてグループ企業の社員が情報を共有化し、ベクトルを合わせていくための仕掛けである。私は対外広報を担当した年月が長かったが、その目的の半分は社員に向けてやってきたつもりだ。自社に関する記事が報道されて、注目するのは社員である。
 良い記事なら社員や家族も喜び、近所から「お宅の会社は良い会社ですね」と言われたらうれしい。一方で、不祥事でマスコミを賑わせて、「お宅の会社は大変ですね」と言われるのは辛い。広報の仕事は、会社の表面を取り繕うことではない。報道をウォッチしているのは、まず社員であり、社員が幸せに働き続けることができる限り、その会社は発展し続けられる。そのためには、企業の内実を改善し続けなければならないと考えている。「健康な素肌に薄化粧」を施すくらいが、ちょうど程良い企業広報の在り方だと思う。

企業変革を仕掛け続けるのが広報

 私は「広報は企業変革を仕掛ける機能」だと位置付けてきた。より良い会社にするために、社会の変化を先取りし、会社が変わるための仕掛けをする。「強い者が生き残るのではなく、変化に対応した者が生き残る」という言葉をよく聞くが、まさに生き残るためには変化に対応することが重要だ。
 広報は、より良い会社にするために仕掛け、変革した企業実態を伝え、社内外からの評価を勝ち取るというPDCAサイクルを回すようなものである。何らかの報道があれば、次なる動きを社会が期待する。広報がより良い形で機能すれば、良いサイクルが回り出す。
 一方、事故が起こった時などは、初期対応を施しお詫びした上で、究明した発生原因と再発防止策を説明し、二度と起こさないと誓う。そうした当たり前のことが当たり前にできる体質、上辺だけでなく、それが会社全体として実行できる体制になるよう、広報は役員・社員の意識変革を促進していかなければならない。
 「会社の常識が社会の非常識」とならないよう、「社会の常識が通じる会社」に向けて変革を図るのだ。その社会の変化が単なる“時流”なのか、それとも本質的な変化かを見極めることも重要である。
(文責:国内広報部専門研究員 長尾ひとみ)
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