経済広報

『経済広報』(2011年7月号)掲載

座談会
広報PR史へ新たな視点
写真:猪狩 誠也

猪狩 誠也(いかり せいや)
東京経済大学 名誉教授

写真:剣持 隆

剣持 隆(けんもち たかし)
名古屋文理大学 情報文化学部PR学科 教授

日本の広報のルーツ:満鉄

このたびは初めての通史『日本の広報・PR100年-満鉄からCSRまで-』を出版されたが、最大の「売り」というか、刊行の意義は。
猪狩 これまで、広報は第2次世界大戦後にGHQ(連合軍総司令部)によって導入されたといわれてきたが、1923年、満鉄(南満州鉄道)に「弘報係」が誕生している。さらに調べていくと、日露戦争講和のポーツマス会議で、広(弘)報という言葉こそ出てはいないが、日露で、いわば広報戦争ともいうべき戦いを行っていて、メディアを通しての国際世論の獲得では完全にロシアに敗れている。その点についてはそう詳しくは触れていないが、広報のルーツをそこまで辿ったのは、我々が初めてだと思う。
 さらに、満鉄の広報活動、戦後につながる社内報や広報誌、広報にかかわる人脈などを明らかにしたこと。あるいは行政・政治広報の流れを大きく捉えてみたこと、これまでは語られてこなかったPR会社の設立・発展に照明を当てたことなども初めて歴史の俎上(そじょう)に載せたのではないか。また、歴史専門書としてではなく、“物語”として読めるように努力した。
タイトルに、「広報・PR」とあるが、なぜ書名に「PR」を入れたのか。
猪狩 ご存知のように、PR、つまりパブリック・リレーションズは米国で生まれた。米国ではすべての権力の拠って立つ基盤は民衆であり世論であって、民衆からの信頼を勝ち取る手段がパブリック・リレーションズの原型だった。
 パブリック・リレーションズが戦後、日本にGHQを通じて導入され、必ずしも適訳とはいえない「広報」という言葉が用いられ、あるいは「ピーアール」という略語になると、パブリック・リレーションズの持っていた本来の意味から離れていってしまった。今日、企業では広報部、専門業界ではPR会社というように使われ、さらに、コーポレート・コミュニケーションという言葉も企業で使われるようになった。広報とPRを重ねて使ったのは、広報とPRが本来同じ意味だったものが時代とともに変容し、今日でも変化し続けているということを理解していただきたかったからだ。
副題に「満鉄からCSRまで」とあるが、満鉄の弘報とは一口に言ってどのようなものだったのか。
猪狩 満鉄は特殊会社だが、満州における宣伝活動を強く求められた。映画制作や雑誌の発行はもちろんのこと、日本から夏目漱石や志賀直哉といった名士を招待するなど、あらゆる宣伝手段を使い、今日から見てもスケールの大きい総合的な活動をしていた。
 しかし、その目的は日本からの「満蒙開拓団」の呼び込みや、“五族協和”を唱えて侵略行為を覆い隠すようなもので、満州事変以後の満州国のプロパガンダの一翼になっていく。

米国の理論・実例を学んだ戦前の日本

そうした宣伝活動、プロパガンダの方法は満鉄が独自に開発したものなのか。
猪狩 いえ、多くは米国から学んだといっていい。満鉄だけでなく、日本の外務省や陸軍も、多くを米国に学んだ。米国政府は第1次世界大戦参戦へ向けて世論を喚起するため、ウィルソン大統領直属の情報機関「パブリック・インフォメーション委員会」を設置した。ジャーナリスト出身の委員長の名前から通称“クリール委員会”と呼ばれていたが、この委員会には、『世論』の著者で著名なウォルター・リップマンや“近代PRの父”といわれたエドワード・バーネイズなども参加している。委員会は、新聞・雑誌、映画、イベントその他、当時考えられるあらゆるメディアを使った総合プロパガンダ戦略を展開した。これによって、PRはプロパガンダ(宣伝)とイコールに解釈されるようになったと言ってもいいのではないか。そして満鉄、満州国弘報処、日本では内閣情報部、ナチス・ドイツのゲッベルスなども、この委員会からかなり学んでいる。
戦前の広報活動は、戦後にどのようにつながっているのか。
猪狩 社内報などはすでに明治時代に、鐘淵紡績の武藤山治が米国のナショナル・キャッシュレジスター(NCR)に学び『鐘紡の汽笛』を創刊、社長から一職工まで情報の共有をしようと唱えている。その後も、「日本的経営」の流れで数多くの社内報が生まれている。広報誌も明治時代からユニークなものが多く刊行されている。
 また、小林一三が鉄道経営で展開した、遊園地造成や少女歌劇の公演などを組み込んだ立体的なコミュニケーション戦略は、今日の私鉄経営の基礎になっている。
 もうひとつ見逃せないのは、満鉄人脈ともいうべき人たちが戦後、電通などで民間放送の開局や、PRの導入・普及に携わっていくことだ。

文化イベントにも力を入れたGHQ

戦後の広報の導入の経過を詳しく紹介しているが……。
座談会全体写真猪狩 GHQルート、電通ルート、証券業界ルート、日経連ルートなどで広報が導入されたことは明らかにされているが、本書ではGHQの民間情報教育局(CIE)の文化イベント戦略なども紹介している。米プロ野球チーム、サンフランシスコ・シールズを招待して巨人軍などとの試合を開催したり、米国映画を上映している。
 パブリック・リレーションズを受け入れようとする日本側の当時の姿勢は積極的であった。CIEによる「広報講習会」に、NHKや朝日新聞などのメディア、労働省など中央官庁の幹部が参加していること、広報車を繰り出す地方自治体の新しい取り組みの様子なども紹介している。
 日本のPR会社の誕生は、これまでほとんど明らかになっていなかったが、1949年、米国人女性が経営するPR会社が『日本経済新聞』に紹介されたり、あるいは、経済界とGHQの折衝や橋渡しの役割を果たしたPR会社、GHQの情報将校だった女性が起業したPR会社のエピソードなども取り上げている。
行政広報についても新しい角度から紹介されているようだが。
剣持 政治広報も含めているが、例えば、ルーズベルト大統領の「炉辺談話」を模した「湛山アワー」が幻に終わったこと。岸信介が訪米した折、アイゼンハワー大統領とシャワーを浴びて話題になったが、その裏には秘書の川部美智雄の存在があり、川部は後にピーアールジャパンを創業していること。初のタレント議員・藤原あき誕生とテレビの役割。選挙とイメージキャンペーン、内閣広報室の設置、一村一品運動など地方の時代の広報手法、改革派知事とパブリック・インボルブメントなどのトピックを追っている。

1960年代のイメージ広報戦略

高度経済成長期以降の広報の活動で、本書で特に力を入れた点は。
剣持 広報は社会の動きに敏感に反応していくものだと思うが、こうして歴史を見てみると、それをまざまざと感じる。1960年代の高度経済成長期は消費革命といわれるように企業イメージ論が流行し、『消費をつくり出す人々』(ヴァンス・パッカード 著)のようなベストセラーも出るなどマーケティング広報の全盛時代。
 例えば、冬季オリンピックで三冠王になったトニー・ザイラーの映画「黒い稲妻」がヒットし、東レはスキーウェアのキャンペーンにザイラーを起用、その頃のスキー場は黒一色になったなどといわれた。さらに、東レと資生堂が中心となったコンビナート・キャンペーンや各業界トップクラス20社が共同して展開したダーリン・ユニオンの例など。高度成長期には次々に面白い企画が生まれた。
 広報誌では、知識人が夢中になったエッソ・スタンダード石油の『Energy』や日本アイ・ビー・エムの『無限大』、トヨタ自動車販売の『自動車とその世界』などを紹介している。
 また、広報マンの姿、例えば新聞記者との付き合いや徳山二郎のような国際広報を開拓した人々も取り上げた。

CSRへの起点になった企業批判

大まかには、1970年代は企業批判、80年代は成熟時代、90年代は失われた10年、ということができると思うが、広報が変わるダイナミズムの根本とはいったい何だったのか。
猪狩 印象的にいえば、公害問題などで消費者運動が盛んになって、企業は受付窓口を設置せざるを得なかった。例えば、オイルショックで売り惜しみする企業の倉庫にテレビが押し掛けて報道する。否応なく広報対応が問われることになった。
 CI(コーポレート・アイデンティティー)が盛り上がった1980年代には社名を変更する企業が続出し、国際摩擦が激しくなると海外での寄付活動や財団設立などの社会貢献活動を積極化したり、コーポレート・シチズンシップも流行語になった。しかし一方で、マネーゲームに狂奔する企業も多く出現し、それが90年代の企業不祥事へと続く。
 やはり、広報は社会の動きに対し危機を読み取るセンサーとして経営戦略と表裏一体で動いてきたと思うが、そのダイナミズムは単線的には捉えられない。しかし、社会と真正面から向き合うことなしには、人々からの理解は得られない。自画自賛になるかもしれないが、歴史を振り返ることも、広報のセンサーとしての機能を強める上でプラスになると思う。
本書を出版した今、新たな課題が出てきていると思うが。
猪狩 パブリック・リレーションズ、つまり広報は関係の問題、学問であって、隣接領域との関係が実に複雑で、かつ密接であることが最大の特徴だ。
 米国では権威が確立しているパブリック・リレーションズの教科書が幾つかあるが、日本では、ようやく着手され出したところだ。いわんや「広報学」といえる学問体系、理論体系は、まだ着手されていないのが実態だといっていい。
 しかし、情報公開やCSR(企業の社会的責任)に見られるように、民主主義の進展や公正な社会の明るい発展に広報の果たす役割は、ますます重要になっているのを実感している。当然、広報理論の構築は必要であり、次世代に期待したい。
 ただ、簡単なことではない。それは、実学を離れての理論構築はあまり意味がないということ。しかし、理論としての方向性がなければまた、実学は実学たり得ない。
 これまで、広報理論の形成に資する広報の歴史の整理がなされていなかった。本書が、理論形成にどの程度貢献できるか見通せないが、少なくとも、そうした方向性を可能にする努力を示そうとしたことを私たちは意識している。経営学や組織論、コミュニケーション論、あるいは広告学など隣接領域は入り組んでいる。様々な領域の研究者や実務家とのコラボレーションが必要となってきている。
さて、今回の東日本大震災、福島原発の災害が及ぼす広報への影響は。
猪狩 東日本大震災、および福島原発の被災と今後の復興は、これまでの学問の在り方に相当というか、根本的なインパクトを与えるものと思っている。復興の在り方は、政治、社会、経済の進み方と共にあり、新しい価値観、ライフスタイルにまで影響し、当然それらの変化は学問体系にも及ぶだろう。
 企業経営にも新しい発想、戦略、工夫が要求され、広報・PRも新しい変革を迫られることになる。ただ、その変化を具体的に青写真として描きにくいのが現実であって、手探りで進まざるを得ず、気が付けば想像を超える変化をしている、といったことも考えられる。
 今回の100年史をまとめてつくづく思うのは、人間と社会は望ましい方向に向かって、それほど真っすぐには進化していないかもしれないのに、気が付けば、前の時代とは比較にならないほど社会が変化し、価値観もライフスタイルも次元を異にした世界にいるということの不思議さである。
 企業はそうした変化を先取りしていく存在で、広報がそのセンサーであるというのは、歴史的にかなり不変な役割ではないか。
 未来を切り開くべく、パブリック・リレーションズは進化しており、民主主義を絶えず蘇生させ新たな息吹を吹き込んでいる。広報の新たな100年に踏み出すいいチャンスと捉え大震災以降の広報の可能性に期待したい。

 本書には、印象に残る事例をできるだけ入れているが、その取り上げ方は多様だ。一定の価値観でまとめているわけではない。読んで面白い、と感じていただけることをひたすら願いながら6人が協力した。
『日本の広報・PR100年』 猪狩誠也 編著(執筆者:小川真理生、北野邦彦、剣持隆、濱田逸郎、森戸規雄)、同友館、2011年3月発行、3150円(税込)
 (聞き手:国内広報部長 佐桑 徹)
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