経済広報

『経済広報』(2012年3月号)掲載

特集 東日本大震災から1年
危機管理の基本は「拙速」
小川 和久

小川 和久(おがわ かずひさ)
特定非営利活動法人国際変動研究所 理事長/軍事アナリスト

形式に流れる日本の危機管理

 日本の危機管理は、形式に流れる傾向が顕著だ。しかも「巧遅拙速」に陥りがちで、危機管理の基本である「拙速」について理解していない。その問題は、東日本大震災と福島第一原発事故を経験してなお、直っていない―そう指摘すると、官僚も企業人もキョトンとしている。噛み砕いて説明する必要があるようだ。
 まず、多数の犠牲者を出した津波対策だが、津波避難ビルが指定され、住民避難計画も修正されつつあるのはよいことだ。しかし、住民参加の避難訓練を実施しても、それが形式に流れていることに気づかない問題は放置されている。だから私は厳しく問いただす。「何人が目標の5分以内に避難できたのですか」と。その人数すら把握していないケースがほとんどだ。避難訓練をし、それをもとに2年後には避難計画を完成させるという。そこでまた問う。「津波は2年後まで来ないということですね」。答えはない。
 ここで必要なのは、避難訓練の現場における避難計画の修正である。100人の住民のうち20人が、目標の5分以内に避難場所に到着できなかったとしたら、その場で行政側は遅れた理由を聞き、避難計画に無理がある場合には、その場で5分以内の避難が可能なように避難ルートや手段、持ち物などについて助言する。これをやっておけば、訓練の3時間後に津波が来たとしても、何とか対応できる。計画を仕上げるのは、住民の生命を守れるようになってからの話だ。
 原発についても同様のことがいえる。津波対策は巨費を投入して急がれている。電源も確保できるようになった。しかし、それでも全電源喪失が起こり得ることについては、考えが至らないようだ。サイバー攻撃である。日本のネットワーク・セキュリティーは、米国と比べて20年ほど遅れている。技術的な遅れは2~3年だが、1年の遅れが7年の開きを生むというドッグイヤーの感覚に乏しい。
 電力など基幹産業の危機管理に関わってきた経験で言うと、米国のハッカー出身の専門家の手にかかると40秒ほどで乗っ取られてしまう。電源であれば、この段階で全て喪失である。それだけではない。サイバー攻撃というと、サイバー空間で完結すると思い込んでいるのが日本だ。しかし、テロリストや特殊部隊、犯罪者、クラッカー(悪いハッカー)は、サイバー面の防御レベルが高くて侵入できない場合、管理者パスワードをだまし取ったり、内通者をつくる動きに出る。これは「ソーシャル・エンジニアリング」と呼ばれる手口だが、CEO(最高経営責任者)の下、会社を挙げて備えなければ防げるものではない。むろん、物理面の穴からも入ろうとするだろう。その備えも手薄だ。日本の原発で進められている危機管理は、いまだ形式主義を脱していないのである。
 全電源喪失については、政府の怠慢も明らかになった。経済産業省原子力安全・保安院は、米国原子力規制委員会(NRC)が9.11同時多発テロを受けて2002年に義務づけた行政命令「B5b」について、既に2008年段階で研究していながら、電力会社にも伝えていなかった。原発に航空機が激突しても事故を拡大させないことを目指した対策だが、これがあれば福島第一原発の全電源喪失の事態に対処できたと関係者は指摘しており、犯罪的としか言いようがない。

「拙速」と「巧遅」の意味

 いまひとつ、日本人は「拙速」ということについて理解が浅く、その結果として危機管理ができない面が多分にある。拙速というと、字面から「速いが雑」という印象があり、「拙速に陥らないように」といったネガティブな使い方になりがちだ。そうだろうか。
 古代中国の戦略の書『孫子』は言う。「兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきをみざるなり」(戦いは、たとえ拙劣でも速決が大事である。いかに戦争巧者でも、長引いて成功したためしはない)、「巧遅は拙速にしかず」(仕事の出来が良くて遅いよりも、たとえ出来は悪くとも速く目的を達する方がよい)と。そこから「巧遅拙速」という四文字熟語も生まれた。教育水準の高い日本人である。これぐらいは知っている。問題は、具体的な状況と言葉が結びついていないところにある。
 「拙速」とは、必要なことを適切なタイミングで行い、走りながら完成度を高めていくことだ。それが理解されていない。昨年2月、ニュージーランドの大地震で、語学学校が入居していたビルが崩壊し、多くの日本の若者も犠牲となった。悲劇を伝えるニュースの中で人々の心を打ったのは、病床にあってインタビューに答えていた19歳の青年の健気(けなげ)な姿だった。青年の姿が人々の心を打ったのは、片足を切断するという状態にあって、笑顔さえ浮かべて地震発生時の状況を語っていたからだ。
 青年を救出するに当たって、救助隊は現場で片足を切断した。そうしなければ救助できないと判断したからだ。日本の救助隊でも、同じようにしただろう。これが世界の常識というものである。
 しかし、同じ現場に日本の典型的な官僚機構の人を派遣していたらどうだろう。恐らく大部分の人が巧遅に陥り、青年は現場で命を落としていたかもしれないと思う。官僚は日本の受験競争の“勝ち組”の秀才たちである。青年を前にして片足の切断が当然だということは理解できる。だが、彼らの脳裏をよぎるのは後々の自分の立場だ。片足を切断したら損害賠償で訴えられるのではないか、判断した人間の責任が問われるのではないか……。議論しているうちに助かる命も救えなくなる。要するに、自分の責任を問われないことを優先するあまり、危機管理のタイミングを失ってしまう。それが「巧遅」である。
 繰り返すが、必要なことを適切なタイミングで行わなければ危機管理ではない。多少は雑でも、完成度は走りながら高めていけばよい。これを心掛けて実践する中で、必要な機能を発揮できるかどうかを必ずチェックするようになり、格好だけ整えれば事足れり、という形式主義も姿を消すことは間違いない。
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