経済広報

『経済広報』(2016年2月号)掲載
企業広報研究

究極の3フィートでの対話

猪狩誠也

猪狩 誠也(いかり せいや)
東京経済大学 名誉教授 

新たなリスクとは?

 昨年(2015)年は第2次世界大戦後70年でもあり、様々なメディアで〈戦後70年企画〉が特集されたことは記憶に新しい。また広報・PRについても、日本広報学会設立20周年ということもあって、学会総会の場で、私が日本の広報・PRを回顧し、今後を展望するという機会を与えていただいた。それというのも、日本の広報・PRがどう生まれ、どう育ってきたかについて、2011年3月、5人の友人と分担して『日本の広報・PR100年―満鉄からCSRまで』を上梓したという理由からだろう。
 ただこの本についていえば、この本は東日本大震災以前に校了になったため、この大震災が社会・経済・組織に与えたインパクトにはまったく触れられなかった。さらに言えば、20世紀の終わりごろから「近代」といわれる時代そのものが創出するリスク――例えばドイツの社会学者・故ウルリッヒ・ベックなどが言う「個人化社会」といった新しいリスクにも触れることができなかったが、2015年9月に発行した増補版『日本の広報・PR100年―満鉄、高度成長そしてグローバル化社会』ではそこまで触れることができた。
 広報という仕事は、一方で歴史、過去の事例などに通暁していなければならないと同時に、将来、遭遇するかもしれない様々な問題を予測するという仕事も守備範囲である。
 少ない紙数だが、特に現代では広報・PRとしてはあまり取り上げられない現代のリスクも最後に少し取り上げてみたい。

経営哲学としてのPR

 第2次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が当初日本に対して行ったことは、二度と戦争ができないようにすることだったが、米ソの対立が次第に高まってくると、日本が対共産国への防波堤の役割を果たせるように、日本への要求も変わっていった。特に朝鮮戦争が始まり、日本が米軍の兵器廠のようになると、最新の米国の経営思想、生産技術が導入され、米国の世界戦略の一環として組み込まれるようになっていく。
 また労働組合運動について、GHQは当初、結成を促していたが、朝鮮戦争が起こると、逆に経営側に立つようになる。1948年には日経連という労務問題を中心とする経営者団体が生まれ、51年には、米国へ視察団を出し、米国から学んできたのがパブリック・リレーションズ(PR)であり、ヒューマン・リレーションズ(人間関係論)であった。そして53年、日経連に事務局を置きPR研究会が発足、官・民・学にわたりPRに関心を持つ人びとを集め勉強会を続けた。特に初期に力を入れたのが社内広報活動であった。
 その後、日本経済の局面が進展するとともに、企業広報の取り組むテーマも次々に変わっていく。60年代から70年代はテレビ、冷蔵庫に始まる家電、自動車と日本人の生活を根底から変えた耐久消費財のマーケティング広報の時代、さらにその高度成長のマイナスとして現れた公害問題によって問われた社会的責任の時代……というように、広報部門が次第に企業の中枢に位置するようになってきたのである。

リスク化する社会

 話は一気にグローバル化した21世紀に飛ぶ。21世紀の社会を「リスク社会」というのは先年物故した先述のドイツのウルリッヒ・ベックである。近代社会はそれまでの村落共同体や大家族など古い共同体を壊しながら、大都市で自立した個人をつくっていったが、〈第二の近代〉といわれる現代では、それまで自分たちを守ってくれていた家族、会社、労働組合などの中間組織も崩壊していった。例えば、ある時代には農民を守った農協、医者の権益を守った医師会……その一時期の強さは現代ではすでに失われた。個人がリスクをすべて負わなければならない時代になっている。
 20世紀最後の10年、21世紀最初の10年、日本は長い経済危機に直面し、新自由主義・市場主義のグローバル投資家集団からリストラを迫られ、大量の人員整理を行った。家族や社会福祉からも見離され、大都市の片隅でようやく生きるだけとなった職を失った労働者たちも増えている。そして彼らのその姿はすべて自己責任の結果と捉えられる。
 我々の周囲をよく見ると、ある時期に社会的に力を持っていた集団・組織がいつの間にか社会的影響力を失っていることに気づく。人びとは正義とかイデオロギーでは動かず、カネ、損得で動くようになってきたようだ。家族、職場、近所……を繋いできた関係性は弱く、細い糸になりつつある。これまで最も強く社会を統合する存在だった企業・官庁などにもそういう機能は期待できなくなりつつあるようだ。

“絆”という言葉

 東日本大震災が我々のテーマである〈広報〉に与えてくれた教訓は多かったが、ひとつだけ挙げるなら“絆(きずな)”という言葉を挙げたい。この大災害の中で、誰言うともなく“心の絆”という言葉が日本中に駆け巡ったような気がする。
 この巨大リスクが、あらためて多くの日本人に公共の中の“関係性(リレーションシップ)”の大事なことに気づかせたのではないか? そして“対話”の意味、重要性を感じさせたのではないか?
 パブリック・リレーションズは欧州からアメリカ大陸へ渡ってきた人びとが、まったく未知だった人びととタウン・ミーティングに出て、自分の意思を表わし、意見を戦わせ、ときに妥協しながらリレーションシップを形成していったもので、それが米国のデモクラシーの原点とすれば、日本人も同じ体験をしてきたと思う。

3フィートからの出発

 日本人は議論はできても、対話が下手である。議論には勝ち負けがあって、負ければ自分の意見は引っ込めて、相手の言うことを聞かなければならない。しかし対話には勝ち負けはない。相手の良いところをプラスしていくのが対話だからである。
 米国の国際関係学者ナンシー・スノーは、その著書『情報戦争――9・11以降のアメリカにおけるプロパガンダ』の中で「放送ジャーナリズムの巨人」といわれ、ケネディ大統領時代にアメリカ文化情報局(United States Information Agency)の長官だったエド・マローの言葉「国際コミュニケーションの連鎖を決定的に連結させるものは、個人的な接触を最善の形で橋渡しする“究極の3フィート”(last three feet)すなわち他者との対話である」という言葉を引いて次のように述べている。
 「彼の“究極の3フィート”の議論で、彼が確信していたのは、個人的な交流や率直な対話は、国家の長期的利益に大いに資するものであり、それはその国の世界での全体的イメージを向上させようとするマーケティング・キャンペーンのいかなるものも陵駕するということであった」。
 現代の大衆説得技術は、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを含め、あまりにも進み過ぎた。これからの広報・PRパーソンが考えなければならないのは、マス・メディア、ソーシャル・メディア……あらゆるメディアを総動員して人を動かすことではなく、究極の3フィートの距離で対話することではないか? そして、優れた広報PRパーソンは、あらゆるところで、対話をつくり出す人である必要があるだろう。
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