経済広報

『経済広報』(2017年6月号)掲載
企業広報研究

許される失言と許されない失言

石川慶子

石川 慶子(いしかわ けいこ)
広報コンサルタント 

 2017年4月25日夜、今村復興大臣が辞任した。同じ日の夜、二階派のパーティで東日本大震災について「東北だからよかった。首都圏に近ければより莫大な被害になった」と失言してから数時間後の発表。政治家の失言は珍しくはないが、辞任にまで至ることは極めてまれである。何が分水嶺となっているのだろうか。果たして許される失言と許されない失言というのがあるのだろうか。過去の事例と比較しながら考えてみよう。

今村復興大臣はなぜ辞任に追い込まれたのか

 「東北だからよかった」という発言についてあなたはどう思うだろうか。「え? なんでこれが失言なの? 辞任するほどのことなの?」と思った人もいるだろう。「よかった」という言葉がよくない。どれほどよくないかというと、「不幸中の幸い」で比較すると腑に落ちる。「5名の生徒が重軽傷。死亡者がなかったことが不幸中の幸い」と記者会見で発言した校長先生がいたが、けがをした生徒の保護者からすると「幸い」とはいえない。日常会話で使っても問題にはならないが公の場では避けた方がよい。
 では、失言した人は、皆辞任しないといけないのか。それは失言の頻度と重さによる。初めてであれば許される確率は高い。今村大臣の今回の失言は2回目と見えてしまった。約20日前の4月4日、今村大臣は記者会見で記者に対し、「うるさい!」「出ていけ!」と暴言。質問した記者の態度が悪く、誘導されてしまった面もあるため、同情の声は確かにあった。しかし、あらゆる質問をさばくのが大臣としての役割でもある。自分のスポークスパーソンとしてのスキル不足を反省するのではなく、「記者が悪い」といって反省していなかったことが、結局今回の2度目の失言に繋がったのではないだろうか。しかも今回は誘導で出た発言ではなく、パーティの挨拶で出た失言。誘導されたという言い訳もできない。これでは守ってくれる人はいない。
 失言の重さはどうだろうか。東日本大震災の被災者は甚大で重い。失言で辞任した久間防衛大臣を思い起こしてほしい。「原爆投下はしょうがない」と発言したことが原因であった。被爆者団体からの猛烈な抗議が起こり、数日後に辞任。「しょうがない」は諦めの気持ちであり、犠牲者を傷つける。被害者の数が多いと辞任に追い込まれるリスクは高い。
 失言は謝罪しても許されないものなのか。通常は、すぐにその場で撤回して謝罪すれば許される類のものではある。今村大臣の場合は、記者に指摘されてようやく謝罪となったことを考えると、相手の目線で言葉を選ぶ能力に欠けるように見える。過去の事例では、柳澤厚生労働大臣が「女性は子どもを産む機械」と発言したことがある。しばらく批判されたが、更迭まではいかなかった。失言癖がある人物ではなかったこと、その場ですぐに謝罪したために許された可能性は高い。今村大臣は失言癖を感じさせる。官邸としては将来のリスクも考えての判断と推測できる。

どんな場合なら許されるのだろうか

 私は失言表現を4つの種類に分類している。「事態を軽視する言葉」「責任を転嫁する言葉」「女性を敵に回す言葉」「自己中心的な言葉」。いずれも許されないが、許されるケースもある。
 事態を軽視する言葉は、今回の今村大臣や久間大臣のような被災者・被爆者の気持ちに寄り添っていない言葉だ。ただし、同じ事態軽視の言葉でも批判が広がらない場合もある。許される失言だ。2003年1月23日、衆院予算委員会で、小泉総理は「約束を守らないことは大したことではない」と言ってしまった。国債発行を30兆円枠とした公約を果たせなかったことについての回答だった。多少の批判はあったが、それほど紛糾することはなかった。理由は、被害者団体が存在しないこと、具体的な被害者が明確ではなかったこと。そう、これがすなわち許される失言の部類に入る。当時の小泉首相が圧倒的な支持率であったことも無関係ではない。米国のトランプ大統領の発言が許されているのと同じ理屈だ。
 「責任を転嫁する言葉」の代表例が「……に言われたから」。「弁護士に言われた」「警察に言われた」。反対に「部下が言わなかった」。2000年に起きた三菱自動車リコール隠しを巡って、知っていたのではないか、という記者からの質問に対し、「正式に報告を受けていない。そう言うと下の怠慢になるが」と回答があった。責任を社員に転嫁しているように見えた。組織のトップは起こってしまった事実に向き合い、責任を感じる、責任をもって原因を追究する、責任をもって事態を収束させる、といった責任ある言葉を発信することが信頼失墜を最小限にするのだが、いざという時に「責任」という言葉を避けたがる傾向がある。責任追及を恐れてのことだろうが、責任追及は受けるのが当然として覚悟して臨むことこそトップの仕事だろう。
 「女性を敵に回す言葉」は最も危険かもしれない。女性を敵に回す言葉は国民の半分を敵にすることになる。前述したように、2007年1月27日の自民党県議の集会で柳澤厚生労働大臣は、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言した。その集会ですぐに発言を撤回したが、「女性は子どもを産む機械」とした発言は、女性の尊厳を踏みにじる人権侵害以外の何物でもない。すぐに女性関係団体から辞任を要求する抗議が殺到した。女性蔑視発言は頻繁にあるが辞任にまで至ることはない。理由は簡単に想像できる。
 「自己中心的な言葉」の代表例が、2000年の雪印乳業(当時)における集団食中毒事件で放たれた「私は寝ていないんだ」という言葉。企業不祥事の歴史に残る失言となってしまった。ひとたび何かが起これば数日は徹夜が続くのはどこの現場も同じだろう。従って「寝ていない」言葉自体が悪いのではない。問題はどのような流れの中で、どの場面で言ってしまったかということだ。2000年7月4日夜9時過ぎ。雪印乳業西日本支社で集団食中毒についての社長会見が開かれた。「(進退について)考える心境にない」「製造のことは分からない」と責任回避発言や「(情報が届かず)不愉快だ」と部下批判をした上、1時間後に「時間がきたから」と一方的に会見を打ち切り、会見場から逃走し、エレベーターの前で記者にもみくちゃにされながら出てきた言葉が「私は寝ていないんだ」。切り返した記者の言葉は「病院のベッドで苦しんでいる子どもがいるんですよ!」。
 失言はついうっかり言ってしまう言葉であり、すべての人にリスクはあるといえる。従って、撤回して謝罪する人をとことん追い詰めるといったことは起こりにくい。過ちを起こさない人はいないからだ。その意味では、謝り方を間違わなければ許される。クライシスコミュニケーションが最も有効に作用するともいえる。
 鉄則は、すぐに撤回して謝罪すること、ただ単に「すみません」を連発するのではなく、傷つけた人へのいたわりの言葉を添えること、自分のどこがどう至らなかったのか具体的な言葉を使って反省する、この点に尽きる。
 失言癖は直るのか、といった質問をよく受ける。本人が自覚すれば直すことはできるが、やっかいなのは本人が無自覚だからこそ起きてしまう点である。周囲がこまめに「それは失言」と指摘すれば本人も学習することはできる。周囲の協力が欠かせない。互いに忌憚なく指摘し合える関係をつくることが失言予防としてのリスクマネジメントといえる。

(いしかわ・けいこ)
東京都出身。参議院事務局勤務後、劇場映画やテレビ番組の制作に携わる。その後、デジタルコンテンツを専門とするPR会社勤務を経て独立。メディアリレーションズで20年以上、100プロジェクト以上の実績がある。現在は企業のブランディングやPR戦略、経営者のメディアトレーニングや危機管理広報分野のコンサルティングサービスを提供。現在、有限会社シン取締役社長、日本リスクマネジャー&コンサルタント協会理事、日本広報学会理事など。
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