経済広報

『経済広報』(2019年1月号)掲載
第34回「企業広報賞」受賞者インタビュー

企業広報経営者賞

「あんしん、あったか、あかるく元気!」

大橋洋治

大橋 洋治(おおはし ようじ)
ANAホールディングス(株) 相談役

安全・安心は社会への責務

「社会の声に耳を傾け、「あんしん、あったか、あかるく元気!」という企業イメージを自ら率先して確立した」ことが評価され企業広報経営者賞を受賞されました。

大橋 社長就任時、航空会社の理念とは何だろうと考える日々が続いていました。ANAとして、安全は社会への責務であり、我々が育んでいかなくてはいけないものです。まず、企業として培われてきた文化を大切にしようと、私は社内一丸となれるような標語をつくりたいと思い、社内に特別チームを発足させ、そのメンバー28人の社員と話し合いました。半年ほどかけて検討した結果、最終的に「あんしん、あったか、あかるく元気!」に決まりました。ただ、当初、この標語に私は異議を唱えました。私は真っ先に、「あんしん」ではなくて、「あんぜん」ではないのかと思ったのです。すると、若手女性社員が「社長、それは違います!」と言ってきました。彼女は「安心と安全は、異なります。お店で買うおにぎりは、安全かもしれません。しかし、社長のお母さまや奥さまが握られるおにぎりには、安全なだけでなく安心が込められています」と主張しました。社会からの絶対的な信用は、安心に通じます。私は女性社員の言うことに納得しました。周りの顔色をうかがうと、みんなも納得した様子でした。そうして、この標語ができたのです。

義を明らかにして利を計らず

「あんしん、あったか、あかるく元気!」を社員に浸透させるための工夫は。

大橋 私は、上から決めつけるのではなく、社員の声を大切にする方が、企業はまとまると考えていました。特に、この標語は、社員全員の足並みをそろえなくてはいけません。
 私は当時、社員と直接会話をするダイレクトトークを行っていました。中には、口数の少ない社員もいました。でも、その社員は何も考えていないのではありません。ただ、緊張していたり、気恥ずかしく思っていたりしているだけなのです。そのような社員を含め、みんなの声を聞こうと思っていました。江戸末期の学者であり、私の故郷、岡山県高梁(たかはし)市の改革を行った山田方谷(ほうこく)は、「至誠惻怛(しせいそくだつ)」という言葉を述べています。至誠は真心、惻怛は人の心をおもんばかる気持ちを表します。そういう心を持って接すれば何事も叶えられるという意味だそうです。緊張して話せなくなってしまう社員もいて当然です。そういう人の立場に立たないとダメです。人の心をおもんばかり、その気持ちを言葉に表すということが大切です。
 2015年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智(さとし)先生の研究室に、「至誠惻怛」と書かれた色紙が飾られているのを見て、非常に驚きました。私が社長時代に、よく使っていた方谷の言葉だったからです。

 ダイレクトトークでは、よく山田方谷の3つの言葉を話していました。1つは、先ほどの「至誠惻怛」です。2つ目は「総じて善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて、事の内に屈せず」という言葉です。大きな事を成し遂げるためには、全体最適で考えなければなりません。3つ目は、「義を明らかにして利を計らず」で、これが最も大事だと思っています。正しい理念を持って経営に当たる姿勢を貫くことが、結局は利益につながるのです。この3つの言葉をダイレクトトークで、100回以上、延べ6000人の社員に話してきました。
 しかし、何度も何度も繰り返し同じ話をすることに、正直、途中で飽きてきていました。そのことを、交友のある日本舞踊家の岩井友見(ゆみ)さんに言うと、「大橋さん、それは間違っています。私は、毎日、同じ舞踊を続けています。寸分たがわないつもりで踊りますが、やはり毎日違うのです。私の踊りが成功だったのか、失敗したのか、お客さまの表情を見ていると分かるのです」と諭されました。それを聞き、私は、同じ話をすることは悪いことではなく、明日は今日より社員に響くように話をしないといけないと肝に銘じました。
 また、伊藤忠商事の丹羽宇一郎さんからは、「私は、1000回同じことを言っています。しかし、聞いている側は全部を覚えていません。だから、また同じ話を、1000回でも2000回でも繰り返さなければいけません」と言われました。それから、私はしつこく、何度も社員に同じ話をし続けました。このお二人からのお話は、非常に役に立ちました。

浸透したと感じる場面はありましたか。
大橋 あるCA(キャビン・アテンダント)が自らの考えで、アロマを自費で買って、機内のトイレに置いていました。そのCAは、アロマがなくなると、また自分で買ってきてトイレに置くのです。それを聞いた私は、「お客さまにとってとても良いことだから、大変うれしいのだけれど、当然、そのお金は会社が負担すべきだ」と、会社として取り組むことを決断しました。一人ひとりの従業員が、お客さまにとって必要なことは何かを考えているのです。そのような社員の姿を見掛けることが多くなってきた時に、私の話も浸透してきたのではないかと感じ、うれしかったです。やはり、現場で働く社員の声を大切にしないといけません。

夢を語るのが経営者の仕事

経営者に必要なことは何だとお考えですか。

大橋 経営者は夢を語らなくてはいけません。経営理念・経営ビジョンをつくり、夢を語って社員を引っ張っていくことが経営者の仕事です。思い描いた夢を実現するためには、経営者が率先して言葉に表さなければ実現しません。私が社長をしていた時、社員には「夢を語ろう」と言っていました。私が入社した頃のANAの夢は、国際線に進出することでした。当時のANAは、国際線就航なんて夢のまた夢でした。それが、1986年3月に実現できたのです。成田〜グアム間の悲願の国際線定期便の運航を開始できました。
 私は、中国・満州で生まれました。中国にも国際線を飛ばしたいという思いがありました。中国の要人と交友があり、友好関係の構築に大きく貢献した元社長の岡崎嘉平太さんの90歳の誕生日である1987年4月16日に、北京、大連に路線を開設し、ようやく中国にも国際線を出すことが実現しました。岡崎さんを乗せた第一便が成田空港から北京へ飛び立った瞬間は、感慨深いものがありました。
 もちろん、今も夢を持っています。中国は現代版シルクロードともいえる一帯一路政策に尽力していますが、陸路と海路しかない。そこには、空路も必要です。そこで、空のシルクロードをいつかANAが実現したいと思っています。また、宇宙への航路開拓も夢です。宇宙飛行士が弊社からも誕生しています。大西卓哉宇宙飛行士は、以前は、ANAの操縦士をしていました。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩の中で「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」と書いています。私はこの言葉が好きで、社長時代から話していました。私は、このサミュエル・ウルマンの詩を大西飛行士にプレゼントしましたが、うれしいことに、彼はその詩を宇宙船に持ち込んでくれていたのです。私が贈った詩集が、宇宙船の無重力空間中で浮かんでいる写真には、とても感動しました。弊社の国際線は、アフリカや南アメリカにはまだ飛んでいません。これからも夢を追い続け、いつか実現したいです。

夢を語る一方で、厳しい経営環境の中で社長を務められました。社員とはどのように接してこられましたか。

大橋 入社以来、私は会社の危機を3度経験しました。1度目は、入社直後の1966年、羽田沖で起きた墜落事故で、2度目はロッキード事件の時です。私はまだ若手でしたが、会社の存続を考えて社内で語り合いました。当然、この事件を深刻に受け止めていましたが、ANAの中興の祖とされる若狭得治会長が小菅の拘置所から戻ってきた際には、絶対に辞めないでほしいと直訴しました。この2度の経験が遺した教訓はとても大きいです。航空会社は何よりも安全に努めなくてはいけないと肝に銘じました。
 そして3度目は、私が社長をしていた時です。就任以後、イラク戦争ぼっ発、SARSの流行、景気の低迷などの逆風下にあり、会社は大幅な赤字に転落していました。経営環境が厳しい中で、2001年9月11日には米国同時多発テロが発生しました。逆境にある中で経営を立て直すためには、社員の意識改革と協力が必要だと思いました。そこで、経営理念・経営ビジョンを策定し、社員一丸となって、何とか立て直すことができました。

壮絶な幼少期を過ごされました。中国への思いはいかがですか。
伊藤秀二

大橋 中国は第二の故郷です。ソ満国境の近くのジャムスで生まれ、兵士に追いかけられ、体調を悪くして死にかけましたが、何とか生き延びて、日本に来ました。しかし、やはりどこかで中国のことを考えていたのでしょう。慶応大学に入ってから、石川忠雄先生のゼミに入りました。非常に厳しい人でした。私が、「ぜひゼミに入りたい」と言うと、「やめたまえ。君はヨット部に入ってるらしいな。ヨット部にいては、勉強ができないぞ」と言われました。否応なくヨット部を辞めて、念願のゼミに入り、卒業論文で日中貿易をテーマに決めました。ただ、資料がなかったので、父にそのことを話すと、同郷だったANAの岡崎嘉平太さんに会いに行くよう勧められました。当時ANAの2代目社長の岡崎さんを、恐る恐る話を伺いに訪問しました。岡崎さんの造詣深い話は大変勉強になりましたし、岡崎さんの人柄の魅力もあり、ANAに憧れを抱きました。入社したい旨を岡崎さんに伝えると、推薦人になっていただけました。

若手は変革の原動力

後輩に期待することはありますか。
大橋 後輩社員は、世代の違いか、私とは違う感性を持っていて、その点を尊重すべきと感じます。私の後任社長である山元峯生は、私と違って、深沈厚重(しんちんこうじゅう)の人でした。明の時代の儒者でもあった呂新吾の著した『呻吟語(しんぎんご)』には、「深沈厚重は是れ第一等の資質なり」、「磊落豪雄(らいらくごうゆう)は是れ第二等の資質なり」、「聡明才弁(そうめいさいべん)は是れ第三等の資質なり」とあります。それぞれ、深々と重い厚みがあることが人間としての第一の資質である、線が太くて物事にこだわらないのは第二の資質である、頭がよくて才能があって弁が立つというのは第三の資質である、という意味です。たいてい、聡明才弁が第一等の人物と思いがちですが、実は、深沈厚重こそ第一等の人物なのです。山元は、そんなどっしりとした人物で、非常に頼もしい男でした。
 企業に変化を起こすには若手が必要です。変化、変革を起こすのはいつの時代でも若い人です。周りを海で囲まれ、穏やかなガラパゴス諸島に住む生き物は、なかなか進化しません。しかし、今の経営環境では、進化していかない企業は廃れてしまいます。ダーウィンは、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」と言いました。その原動力が若手であり、若手には非常に期待しています。
聞き手:佐桑 徹 経済広報センター 常務理事・国内広報部長
(文責:国内広報部主任研究員 遠藤 瞭太)
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