経済広報

『経済広報』(2019年5月号)掲載
企業広報研究
経営者の謝罪
川村 秀樹

川村 秀樹(かわむら ひでき)
コミュニケーション・コンサルタント

「お詫び」と「信頼回復」という言葉

 「当社グループの引き起こした重大な品質問題により、社会の皆さまに対して、大変なご迷惑、ご心配をお掛けしましたことを、改めて深くお詫び申し上げます」「一連の問題で皆さまをお騒がせしていることに対して、改めて深くお詫び申し上げます」「社会の皆さまに大変なご不安とご迷惑をお掛けしておりますこと、まずは、心よりお詫び申し上げます」。いずれも、事故、事件に関わる記者会見の場で、会見者が口にした謝罪の言葉である。
 「一日も早くお客さまからの信頼を取り戻せるよう、グループ一丸となって、私が先頭に立って進めてまいる所存でございます」「内部統制体制の拡充、およびコンプライアンスのさらなる推進を図り、皆さまからの信頼回復に努めてまいりたいと存じます」。会見では、「お詫び」とともに「信頼回復」という言葉もよく使われる。
 私自身、お詫び、もしくは、信頼回復という言葉を使うべきか、どのように表現するべきかを迷う場合がある。不祥事の影響が限定的な場合でも社会の皆さまにお詫びをする必要があるのだろうか、事故後に入社した新入社員は謝罪の言葉を繰り返す社長を見てどのように感じるのだろうか、不祥事から5年以上も経過して社長が代わっているにもかかわらず「お詫び申し上げます」「信頼回復に努めます」といった言葉を使うべきなのか。ケース・バイ・ケースの判断となるのは当然であるとしても、何を基準に判断すればよいのか、見聞きしてきた様々なケースを踏まえて、改めて考えてみたい。

何のためのお詫びなのか

 「当工場から流出した油で地元の河川を汚染したことをお詫びいたします」「誤って油を河川に廃棄してしまったことを謝罪します」「ルールの不徹底、教育の不足によって油流出という事態を引き起こしお詫び申し上げます」。このように、行為、結果、背景要因は、いずれも謝罪の対象となる。事故や事件の後に立ち上げられた第三者委員会が作成する報告書では、行為や結果よりも、背景要因を重視するケースが多い。例えば、「物作りに携わる者としての規範意識に欠如」「消費者重視の視点が不足」「グループ全体で統括的に管理を行う部署が存在しなかった」「品質保証部門の製造部門に対するけん制が機能していなかった」(企業名と案件は伏せる)。いずれも不正行為の背景にある意識や仕組みを問題視しており、こうした指摘を認めた事業者は謝罪を表明している。
 「何について謝罪するのか」は分かりやすいのだが、「何のためにお詫びをするのか」となると、すぐに回答が思い浮かばないのではないだろうか。ところが、この点を明確にしておかないと、被害者への説明会や記者会見といった場で大きな誤解や反発を招く結果となりかねない。「隠すつもりはなかった」「担当社員に悪意はなかった」「ルールではきちんと定められていた」といった発言は、謝罪の言葉を使っていたとしても、何のためのお詫びなのかという考え方が整理されていなかったために出てきた発言ではないか。自分を守るための弁解、責任を他者に押し付けようとする無責任な姿勢と解釈されて、火に油を注ぐ結果となったようである。
 謝罪は弁解ではなく、自らの責任を逃れることではなく、まして許しを請うことを目的とするものではない。不正を直視して、それを正す姿勢を継続するという強い意志を伝えることを目的とするべきではないだろうか。

信頼回復は誰が判断するのか

 「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」という古代ローマ帝国時代のストア派哲学者の考え方は現代の我々にも共感できる部分がある。復讐したいという感情は抑制するべきであるが、不正に対して怒りを持つことは自然であり、不正を正していく上では必要な考え方であるともいえよう(本稿で使用する「不正」「不正行為」という言葉は、行為者に悪意がない、もしくは、意図せずに発生した事故・事件、被害者側の誤解や思い込みも含む)。
 事故・事件からどれだけの時間が経過しようとも、遺族、被害者の怒りが和らぐことはない。直接的な影響を受けなかった市民は事故・事件についての詳細な記憶を時間の経過とともに失っていくが、「家族の命を奪った会社」「夢や希望を打ち砕いた会社」「私の人生を狂わせた会社」という烙印(らくいん)は残る。不正に対する怒りは、誰もが共有する思いである。資格を持たない者が検査で合格を出していたケース、長年にわたってデータを改ざんしていたケース、改ざんを知りながら長期間公表しなかったケース、いずれの場合も誰もが怒りを持つはずである。
 こうした怒りを持つ人たちに「信頼回復に努めます」と発言しても、どの程度まで受け入れられるのであろうか。この言葉を使うことを私が躊躇(ちゅうちょ)する理由が3つある。事故・事件前の状態に戻すことが不可能な場合、信頼回復はあり得ないと考えていること、被害者・加害者が信頼を判断する共通の基準を持っていないこと、そして、信頼回復を判断するのは加害者ではなく、被害者(そして一般の市民)であるという理由である。烙印は簡単に消せるものではない。
 被害者と加害者は対立の関係となるが、「不正を正す」という思いでは一致するところがある。さらに、「同じ悲しみ(苦しみ)を経験する人が出ないように」という被害者の切なる思いは加害者も共有できる。被害者の悲嘆と怒りに向き合う、安全を確保する、環境を守る、健康を維持するための様々な取り組みは、年月を経て、徐々に被害者に受け入れられるようになる。全社的な取り組み、一人ひとりの社員の行為が評価され、それを積み重ねていくことで両者の溝は少しずつでも狭めることができるのではないだろうか。それでも、信頼回復を判断するのは被害者側である。

経営者の謝罪

 今年の1月某日、インターネットのニュース掲示板で、某社の工場に設置された安全の誓いの碑の前で再発防止を改めて誓う工場長の姿が報道されている記事を目にした。その後、好奇心から1989年のエクソン・バルディーズ号の座礁事故の後のエクソンモービル社の活動を調べてみた。ここでは詳細を割愛するが、タンカーの設計変更、海上・地上のオペレーション・マニュアルの改訂の他、汚染された地区に生息する海洋生物の安全確保、アラスカ地域の経済活動の振興と取り組みは多岐にわたる。事故直後、油まみれとなった海洋生物の報道写真が人々の怒りに火をつけ、当時の責任者が3週間もの間現地に行かなかったことが徹底的に糾弾された。その烙印はいまだに残り、同社の取り組みに対する批判も続いているが、事故から30年が経過して社員の大半が代わっても、様々な取り組みが今も続いているようである。
 経営者だからこそできるお詫びと信頼回復がある。不正を直視する姿勢をしっかりと持ち「二度と起こさないでほしい」という被害者、市民の思いを形にする努力を続ける。そして、事故・事件後に入社してきた社員には事故・事件を情報として教えるだけではなく今後10年、20年、半世紀と、一人ひとりが自分事として考え、行動に移せるような仕組みをつくっていくことが経営者に課せられた使命と考える。その姿が信頼回復につながるのではないだろうか。
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