経済広報

『経済広報』(2020年7月号)掲載
特集 Withコロナと危機管理広報
コロナと企業の危機管理
小川和久

小川 和久(おがわ かずひさ)
静岡県立大学 特任教授

感染を抑え、経済活動を持続していくために

 4月から断続的に続いてきた緊急事態宣言の解除を受けて、国民の間に安堵感が広がっている。
 確かに、人口100万人当たりの日本の死亡者数は約5人で、ベルギーの700人、スペイン569人などと比べても100分の1近くにとどまっている(5月末時点)。しかし、これは日本政府の新型コロナウイルス感染症への対策が功を奏した結果ではない。もともと、日本社会はトイレや電車のつり革にまで「抗菌」処理が施され、他国と比較して清潔だったことが幸いしたと考えるべきだ。
 本稿では、不幸にして新型コロナウイルスの第2波、第3波に襲われた場合、そして、もっと感染力が強く、致死率も高いウイルスが世界的に流行する事態を視野に、感染を抑制し、経済活動を持続していくため、政府と企業が取るべき対応について整理しておきたい。

コロナは武力侵攻以上に深刻な脅威

 まず危機感の問題がある。もし日本政府と国民に「生命の危機」という認識があれば、最初の段階で感染拡大防止と経済活動の両立を求めたりしないはずだ。
 安全保障専門家の一員としていえば、今回の新型コロナウイルスは武力侵攻を受けた場合に比べても深刻な脅威である。通常の武力侵攻では、非戦闘員、つまり一般市民が攻撃の対象になることは基本的にはない。砲爆撃による死傷はあっても、市民を標的にすることは国際法で禁じられているし、国際的イメージの点からも、どの国も避けようとする。
 しかし、ウイルスは地球上の全人類の隣にいて、いつ牙をむくかもしれない。だから世界の指導者は「戦争」であり「有事」と呼んで危機感をあらわにしたのである。それを「大げさ」とか「感染症と戦争は違う」などと言うのは、危機を自覚していない証拠である。
 当然ながら、最優先課題は感染拡大を抑え込むことだ。そのためには、一定期間にわたって国民の行動を規制するロックダウン(都市封鎖など)は避けられない。ところが、政府は外出や経済活動について「要請」を繰り返すことになった。これは自由を奪われることへの国民の不満や、事業主などからの補償要求の噴出を恐れ、忖度(そんたく)し、新型インフルエンザ等対策特別措置法に強制力を備えさせなかったからだ。
 しかし、考えれば分かることだが、コロナの終息が遅れるほどに医療は崩壊するし、政府は補償措置を繰り返すことになる。経済活動は停滞し、予算編成も税収減を前提としたものにならざるを得ない。長引くほどに補償金額は細り、財政を圧迫する恐れすら出てくる。これは悪循環そのものである。
 こうした問題点を国民に説明し、しばしの不自由を受け入れてもらう。休業などの補償については、激甚災害法と同じ発想で手を差し伸べ、それに上積みすることで理解を求める。規模の大小を問わず、経済活動は大規模災害などのリスクを前提として行われているから、地震や津波を相手に補償を求めることはあり得ない。それを救済するのが激甚災害法の趣旨である。そう説明すれば政府の方針を理解しない国民はいないだろう。これが正攻法だ。
 ロックダウンについても、戒厳令を思い浮かべて躊躇(ちゅうちょ)するのではなく、日本に適した形で柔軟に考える必要がある。対策の基本は「人と人との接触」を完全に近いレベルで断ち切ることだから、公共交通機関を使った通勤は、許可証を持つ重要インフラ産業をはじめとするエッセンシャルワーカーに絞り、買い物、散歩、軽い運動なども許可証で規制することは避けられない。誤解してはならないのは、これは短期間に限定される物理的な規制措置であり、それ以外の国民の自由を侵すものではない。言論はもとより、集会の自由もネットを使った形で保障され、検察庁法改正問題でも政府に反対の意思を突き付け、見送りに追い込んだことを忘れてはならない。
 悪循環を避け、短期の終息を目指すためには、発想を平時型から有事型に切り替えることも極めて重要となる。 

必要なことを必要なタイミングで

 2月27日、安倍晋三首相が全校休校を要請したとき、「『場当たり的、唐突。不安広がる』愛媛知事が首相の休校要請に苦言 新型コロナ」(2月28日付『毎日新聞』)といった見出しがマスコミに躍った。専門家の意見を聞いていないという批判もあった。しかし、専門家を集めた会議が、必要なタイミングで明確な方針を打ち出すことができれば、なにも首相が前面に出てくる必要はない。専門家や官僚機構が何も決められず、一方で危機がどんどん進行しているとあれば、首相としては独断と批判されようとも、方針を打ち出さざるを得ないのだ。
 臨機応変ということは場当たり的な動きの連続にもなる。いきなり新たな動きをするのだから、唐突な印象も生まれてくるだろう。言ってみれば、独断も、場当たりも、唐突も、危機管理としては当然の行動の帰結でもあるのだ。
 言うまでもなく、危機管理の要諦は拙速である。必要なことを適切なタイミングで実行できなければ国家国民を救うことができない。これは時間との勝負でもある。なんとしても実現しなければならない目的を断行する。
 仮に法制度を逸脱した行動が生じたとしても、危機管理の目的を達成すると同時に、生じた問題を可及的速やかに健全化させることができて初めて、成熟した民主主義国家と言える。

有事型組織と人材

 万事において平時型がまかり通っている日本の政府と企業には、そうした有事型の発想ができない。そこにおいてリーダーに求められるのは、自分の組織の内外から有事型の人間を選んで危機対応チームを編成することである。
 これは世界に共通することだが、得てして有事型の人間は言動が「尖って」いたり、偏屈な印象から平時型が幅を利かせる時代には陽の当たらない場所にくすぶっていることが少なくない。危機においては、そうした人材を発掘し、活用できるかどうかで組織の運命は変わってくる。
 米国の第34代大統領になったドワイト・アイゼンハワーは、陸軍士官学校卒業後、30歳から45歳までの16年間を、企業でいえば係長か課長補佐クラスに当たる少佐の階級にとどめられた。自衛隊でも、防衛大学校出身者なら30代半ばで就く階級である。これを見ただけで、出世とは縁のないコースを歩いていたことが分かる。
 このアイゼンハワーに注目し、大抜擢(てき)したのはジョージ・マーシャル陸軍参謀総長(後に国務長官、マーシャルプランでノーベル平和賞)だった。アイゼンハワーは大佐だった50歳のときから准将、少将、中将、大将の階級をわずか3年9カ月で駆け抜け、1944年12月には陸軍士官学校で10年先輩のダグラス・マッカーサーと並ぶ陸軍元帥に昇進する。企業なら古手の部長があっという間に社長、会長になったようなものだ。そしてアメリカ合衆国のトップである大統領にまでなってしまう。
 アイゼンハワーの大抜擢には諸説あるが、自分自身も偏屈な性格の故にアメリカ陸軍の中で出世が大幅に遅れた経験を持つマーシャルが、自らの経験から有事に役立つ人間を探し、アイゼンハワーに白羽の矢を立てたとする見方は根拠のないものではない。
 トム・リックス著『ザ・ジェネラルズ――第二次世界大戦から今日までの米軍の統帥』によれば、マーシャルは参謀総長に就任した1939年9月から終戦までの間に、1)常識、2)専門知識、3)体力、4)陽気さと楽観主義、5)全身にみなぎる活力、6)抜きんでた忠誠心、7)強固な決意、という「指揮官としての資質」を示さなかった高級将校を即刻解任している。
 新型コロナウイルス感染症のような緊急事態においては、信賞必罰という言葉が形骸化している日本の組織でもリーダーがマーシャル型の行動を求められることは言うまでもない。
 今回の場合、有事型の組織と人事という点で参考になるのは感染者442人、死者7人(6月1日時点)と抑止に成功している台湾だ。蔡英文政権は中国、そして親中国の国民党との緊張関係の中で、国全体をロックダウン同然にして大きな成果を挙げている。いち早く外国からの入国を遮断し、帰国者や感染者の自宅隔離のケースについては携帯電話のGPS機能を使って管理し、違反者には日本円で360万円の罰金を科している。違反者が公共交通機関を利用した場合は720万円の罰金というから、違反者が出ないのも道理である。
 それを実行することができたのは、一人の素人もいないというほど専門的な知見を持つ人材で政権を固めたからだ。ナンバー2の陳建仁副総統は2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)に対処した公衆衛生の専門家である。
 これを見ても明らかなように、リーダーは日頃から有事型の個性を持つ人材をメモしておくことも重要な危機管理だと記憶しておくべきだろう。

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