企業と生活者懇談会
2006年4月18日 神奈川
出席企業:日本郵船
見学施設:日本郵船歴史博物館

「産業を支える企業を考える」

4月18日、神奈川県横浜市にある日本郵船歴史博物館で、「企業と生活者懇談会」を実施しました。社会広聴会員21名が参加し、「日本郵船歴史博物館」の 見学などを行ったほか、「飛鳥」の元船長である野利夫館長代理から「クルーズの楽しみ方」の講演があり、質疑応答を行いました。
日本郵船からは、日本郵船歴史博物館の目黒征爾館長、野利夫館長代理、村上淳一チーム長のほか、本社広報グループの永井圭造グループ長が出席しました。
日本郵船からの説明
■日本郵船の歩み■
 1870年(明治3年)、三菱グループ創始者の岩崎弥太郎は土佐藩の回漕業者である九十九商会を継承し、民間による近代海運業に乗り出しました。九十九商会は、何度かの改称によって郵便汽船三菱会社となり、外国海運会社との競争に打ち勝って、事業を飛躍的に発展させました。
 1885年(明治18年)9月29日、郵便汽船三菱会社は政府の指導により、激しい競争を繰り広げてきた共同運輸会社と合併して、日本郵船会社が設立されました。その後の日本郵船は外航航路を順次開設し、客船・貨客船および貨物船の船隊整備を積極的に行い、世界有数の海運企業に成長しました。
 しかし、太平洋戦争によって日本郵船は多くの船舶と船員を失い、壊滅的な打撃を受けました。戦後も苦しい時期が続きましたが、1953年(昭和28年)にほぼ戦前の航路を回復し、高度経済成長に伴う原材料の輸入の拡大に応えて、貨物の種類に応じて次々に専用船を建造しました。コンテナ化を推し進める一方、円高によるコストの上昇を合理化と事業のグローバル化によって切り抜けてきました。
 現在、日本郵船は海運会社から総合物流企業へと成長しつつあります。一方、1960年(昭和35年)に「氷川丸」が引退した後、しばらくの間は客船事業を行っていませんでしたが、1990年(平成2年)、クルーズ事業を再開し、1991年(平成3年)に日本船籍の豪華客船「飛鳥」が、2006年(平成18年)には「飛鳥Ⅱ」がデビューし、再び高い評価を得るようになりました。
 2005年3月には、新たにグループ新中期経営計画「New Horizon 2007」を策定して、「世界をリードする、グローバルな海・陸・空の総合物流企業グループ」への飛躍を宣言しました。

■日本郵船歴史博物館■
 1936年(昭和11年)に日本郵船の横浜支店として建てられた「横浜郵船ビル」を改修して、2003年(平成15年)にリニューアルオープンしました。日本郵船と近代海運の歴史を様々な展示物を通して紹介するとともに、海と船により親しんでいただくことを目指しています。展示室のほか、オリエンテーションルームやITライブラリー、ミュージアムショップ、ティーコーナーどを備えています。

■総合物流企業として■
 在庫を最小限に抑えてジャスト・イン・タイムで商品や原材料・部品を調達する、というお客さまの多様化・高度化したニーズに対し、海・陸・空の輸送モードを有機的に結び付けた輸送力と情報技術で応えるのが総合物流です。
 例えば自動車関連産業では、従来の完成車の海上輸送に加えて、専用ターミナルの運営や完成車の内陸輸を組み合わせ、部品工場を1台のトラックで巡回し完成車工場へ輸送する(ミルクラン)一体化サービスを提供しています。
 また、大手量販店などの小売業のお客さま向け製品物流サービスでは、複数の製品工場を1台のトラックで巡回集荷し、コンテナに混載した上で海上輸送して荷揚地の自営倉庫(クロスドッグ)に保管し、お客さまからのオーダーに応じて配送します。販売状況に応じて、最適な商品を最適な数量だけ、最適な店舗へ配送することができ、お客さまの在庫の削減が可能になります。
 日本郵船グループは、世界規模の船隊に加え、海・陸・空にわたるハードと、情報システムなどのネットワーク、そして培われてきたノウハウを組み合わせた「ロジスティクス・インテグレーター」への飛躍を通して、総合物流企業を目指しています。

■「飛鳥」元船長野利夫氏講演「クルーズの楽しみ方」■
 おそらく、客船によるクルーズは最も楽な旅です。乗船券や寄港地の案内は自宅に届きますし、大量の荷物も事前に宅配便が集荷してくれます。乗船日はパスポートだけ持って受付を済ませ、船室に入ると荷物が置かれています。あとは外国が次々に向こうからやって来るわけです。
 船旅は退屈するのではないかとよくいわれますが、実際に退屈している人には会ったことがありません。また、長旅を飽きさせることがないように音楽鑑賞・ダンス・ヨガ・運動などいろいろな企画も用意されています。航海に出て1週間くらいすると乗客の皆さまの元気がなくなってきます。「どうなさいました」と聞くと、「船上での行事に全部参加していたらヘトヘトになってしまった」とおっしゃいます。そこで「ノー・アクティビティー・ディ(何もしない日)」を設けたところ、乗客の皆さまから大好評でした。
 「飛鳥Ⅱ」の定員は950名ですが、船を広々と使っていただくために、乗客720名を上限に運航しています。その10%に当たる70~80名は、おひとりで乗船される方です。おひとりの場合、寂しい思いをしないでいただくために、早い段階でいろいろな仕掛けを準備し、シングルスパーティーなども開催しています。飛鳥には客室の等級はありますが、一歩客室から出ますと受けるサービスは全部一緒です。トップクラスの客室の方も普通の客室の方も、食事をする場所を隔てたりするようなことはありませんし、チップも必要ありません。安心してご乗船いただけます。
 最後に、「豪華客船」といわれますが、「豪華」というのは船の造りだけでなく、乗船した乗客の皆さまが下船の際、十分に満足し、楽しい時間を船上で過ごすことができたという感謝のお言葉をいただいて、初め「豪華客船」といえるのだと思っています。
日本郵船への質問と回答
社会広聴会員:
原油価格が高騰していますが、現在の重油に代わる燃料の開発などは行っていないのでしょうか。
日本郵船:現状では代替燃料になるものはありませんが、子会社にMTI(Monohakobi Technology Institute)という研究機関を持っています。そこで、代替燃料として何か考えられないか研究している段階です。
 
社会広聴会員:
貨物船を主体とした事業を展開し、客船事業は副次的な位置付けとのことでしたが、これは今後とも変わりないのでしょうか。
日本郵船:
会社にとって客船事業も大切な事業のひとつですが、売り上げや収益の点からいえば、メインは海運業や物流業になります。
 
社会広聴会員:
日本郵船が大変伝統のある企業であることが理解できましたが、時代の流れに対応していく中で、昔と今とではどのような点が変わりましたか。
日本郵船:
昨年(2005年)、弊社は創立120周年を迎えましたが、その内の前半の60年が戦前、残りの60年が戦後になります。戦前の60年間の、売り上げや利益の中心は定期貨物航路でした。戦後の60年は、経済復興や高度経済成長を背景に定期専用貨物船に加えて不定期専用貨物船の会社へと企業の形態を多角化させました。
現在は海運に限らず、陸運・空輸も一体になった総合物流企業として、社長以下全社員が一生懸命に会社の変革に取り組んでいるところです。
 
参加者の感想から
●1885年の設立以来、日本近代の歴史と共にあり、戦時中は物資の輸送船や病院船に従事し、つらい時期があったことを初めて知りました。

●戦争で沈没した船舶に対しても、感謝の念を抱いている日本郵船に大変感激いたしました。「モノ運び」のためにグローバルに活躍されることを願わずにはいられません。

●日本郵船歴史博物館は歴史を踏まえた事実と夢を感じ取れる場所でした。日本郵船の方々が丁寧に対応してくださったことに感謝しています。近い将来、船旅を楽しむ日が来ることを願っています。

●客船クルーズの楽しみ方、飛鳥の元船長の経験に基づいた話など、非常に楽しく聞くことができました。 わが国の船籍の商船隊が100隻以下というのは、何とも寂しい気がします。

●あらゆるニーズに対応した船の種類の多さに驚きました。仕分け用ICチップの導入など今後の課題も多いかと思いますが、エネルギー問題、船員の人材教育、技術の継承などの力強い発展を期待しています。

●貿易立国として飛躍的な発展を遂げてきた日本にとって、物流体制の確立なくして今日がなかっただろうと痛感しました。総合的・体系的に物流業務を理解できたのは大きな収穫でした。

●社員のどなたも海が好きで、海運のロマンを共有して会社を誇りにしていると感じました。働く人が会社の歴史、社会的使命に共感でき、存分に仕事ができるというのは、素晴らしいことだと思います。
お問い合わせ先
(財)経済広報センター 国内広報部
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