企業と生活者懇談会
2018年7月19日 北海道
出席企業:アサヒグループホールディングス
見学施設:ニッカウヰスキー余市蒸溜所

「受け継がれる『本物のウイスキーづくり』への情熱を体感しよう」

7月19日、ニッカウヰスキーの余市蒸溜所(北海道余市町)で「企業と生活者懇談会」を開催し、生活者15名が参加しました。まず、アサヒグループホールディングスから、同グループが展開している「酒類事業」「飲料事業」「食品事業」「国際事業」の現状と今後の展望などについて、続いて、ニッカウヰスキーから、同社の創業者である竹鶴政孝の生い立ちやウイスキーの製造工程などについて説明を受けました。その後、余市蒸溜所で、創業当初につくられたウイスキーが今なお熟成を重ねる貯蔵庫や、政孝とリタ夫人が暮らした「旧竹鶴邸」を見学し、現代まで脈々と受け継がれる「本物のウイスキーづくり」への情熱を体感しました。
アサヒグループホールディングスからは、広報部門の杉正直マネジャー、ニッカウヰスキーからは、北海道工場の三明稔工場長、高橋智英総務部長が出席しました。

アサヒグループホールディングスからの説明

■アサヒグループの概要■
 アサヒグループは、アサヒグループホールディングスを純粋持株会社として、アサヒビールやニッカウヰスキー、アサヒ飲料、アサヒグループ食品等の約150社から構成され、「『食の感動(おいしさ・喜び・新しさ)』を通じて、世界で信頼される企業グループを目指す」を長期ビジョンに掲げ、「酒類」「飲料」「食品」およびそれらの「国際」事業を展開しています。
 同グループの代表的な商品として、酒類事業では「アサヒスーパードライ」「ブラックニッカ」、飲料事業では「三ツ矢サイダー」「カルピス」、食品事業では「ミンティア」や粉ミルク、フリーズドライといった、なじみのある商品が挙げられ、各分野で非常に高い国内シェアを誇っています。
 近年では、国内で培ってきた「強み」を生かしたグローバルな成長基盤の拡大にも力を入れています。従業員数約3万1000名のうち、約6割が外国人で、売上収益約2兆850億円の構成比率は、酒類事業44.4%、飲料事業17.1%、食品事業5.2%、国際事業28.4%、その他4.9%と、国際事業が約3割を占めていて、その比率は年々上昇してきています。
 主に東南アジア、オセアニア、中国、ヨーロッパで事業展開を行い、主力ブランドである「アサヒスーパードライ」の海外販売数量は右肩上がりで推移しています。
 また、2016年には、伝統のあるイタリアの「Peroni」やオランダの「Grolsch」等を買収、2017年には、グローバルブランドとして確立しているチェコの「Pilsner Urquell」をはじめとした中東欧5カ国(チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア)の企業を買収しました。商品ラインアップを拡充するとともに、各ブランドを活用したシナジー創出に向けた体制を整備し、「日本のアサヒ」から「世界のASAHI」へと、食の感動をお届けする領域を広げています。

■ニッカウヰスキーの概要■
 ニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝は、1894年(明治27年)、広島の造り酒屋「竹鶴酒造」の三男として生まれました。大阪高等工業学校(現大阪大学)で醸造学を学び、洋酒に興味を抱いた政孝は、洋酒メーカーの筆頭であった大阪の摂津酒造に入社し、寿屋から受託していた赤玉ポートワインの製造等を担当していました。
 政孝は、1918年(大正7年)、「日本で本物のウイスキーをつくる」という夢を抱き、単身スコットランドへ渡り、ロングモーン・グレンリベット蒸溜所、ジェームスカルダーの工場、ヘーゼルバーン蒸溜所等での実習を通して、ウイスキーづくりについて徹底的に学びました。政孝がこのとき得た知識や経験をイラストを交えながら細かく記録した2冊のノートは「竹鶴ノート」と称され、今も残っていますが、その中には具体的なウイスキーの製造方法だけではなく、酒税や販売方法、従業員の労務管理についてまで詳細に記載されています。
 1920年(大正9年)に帰国した政孝は、摂津酒造にウイスキーの製造計画を何度も提案しましたが、第一次世界大戦後の大恐慌で業績不振に陥っていたことなどから、計画は断念されることとなりました。「本物のウイスキーをつくらないのなら、自分がここにいる意味はない」との思いで、政孝は摂津酒造を退社しましたが、当時、蒸溜所建設を構想していた寿屋の社長、鳥井信治郎にスカウトされ、10年間の契約で同社のウイスキー製造の責任者として就任することとなりました。
 政孝は、気候がスコットランドに似ている北海道を候補地に提案しましたが、寿屋は「見学に来てもらいやすい場所」という条件だけは譲りませんでした。そこで、調査を重ねた結果、良質な水が豊富で、かつて千利休が茶室を設けた、大阪と京都の境にある山崎が選定され、1924年(大正13年)、日本初のウイスキー蒸溜所「山崎蒸溜所」が誕生しました。政孝は初代工場長として自ら単式蒸溜器の設計図を描くなど、必要な設備を一から揃えるとともに、技術者についても故郷の広島から日本酒の杜氏を呼び集めました。
 寿屋との契約満了後、同社を退社した政孝は、適度な湿気を含む冷涼な空気と良質な水に加え、麦芽を乾燥させるためのピート(草炭)が豊富に取れるなど、絶好の条件が揃っていた北海道余市町でのウイスキーづくりを決意します。しかし、ウイスキーは蒸溜を開始してから商品として販売できるまでには数年を要することから、政孝は、余市町の特産品であるリンゴに目を付け、「まずはリンゴジュースで食いつなげる」として、1934年(昭和9年)、「大日本果汁株式会社」を設立し、「余市蒸溜所」を完成させました。現在の社名である「ニッカウヰスキー」はここから「日」と「果」を取って命名されたものです。
 終戦後、酒類の販売が自由化されると、世間では粗悪なイミテーションウイスキーがはびこるようになりましたが、政孝は品質第一主義にこだわり続けました。そして、洋酒ブームの到来にも後押しされながら、1956年(昭和31年)「ブラックニッカ」、1962年(昭和37年)「スーパーニッカ」、1964年(昭和39年)「ハイニッカ」といった現在まで続くロングセラー商品を次々と生み出し、本格ウイスキーブランドとしての地位を確立していきました。
 1969年(昭和44年)には、宮城県仙台市に第2の蒸溜所となる「宮城峡蒸溜所」が完成しました。厳しくも清らかな北の大地にある余市蒸溜所に対して、宮城峡蒸溜所は穏やかな緑の峡谷に建てられ、政孝の積年の夢であった「異なる土地で育まれた複数のモルト原酒を組み合わせる」ことが可能となりました。
 そして、現在、ニッカウヰスキーは、世界的に認められるブランドにまで成長しました。力強くしっかりとしたコクがある余市のモルト原酒と、華やかで軽やか、ほんのり甘さのある宮城峡のモルト原酒などをブレンドした「竹鶴17年ピュアモルト」「竹鶴21年ピュアモルト」は、毎年200種類以上がエントリーされ、世界で最も権威のあるウイスキーのコンテストと呼ばれる「ワールド・ウイスキー・アワード」のブレンデッドモルトウイスキー部門において、なんと8回も世界最高賞を受賞しています。
 政孝の「本物のウイスキーをつくる」という情熱とこだわりは、過去から現在、そして未来まで、ニッカウヰスキーで働く全ての人々に受け継がれていきます。

見学の様子

■創業当初から変わらず続く石炭直火蒸溜■
 モルトウイスキーは、二条大麦と水を原料とし、以下の工程でつくられます。 
①製麦:二条大麦を水に浸し発芽させる
②乾燥:①をピート等で炊き乾燥させ発芽を止める 
③糖化:②を粉砕し温水を加え糖化させる
④醗酵:③をろ過し酵母を加え醗酵させる
⑤蒸溜:④を加熱し複数回蒸溜させる
⑥貯蔵:⑤のアルコール分を調整し樽に詰める
⑦熟成:⑥を長期間にわたり熟成させる
⑧瓶詰:⑦をブレンドし瓶に詰める
創業当初は全ての工程を余市蒸溜所で行っていましたが、現在は主に③~⑦の工程を行っています。
 参加者はまず、大きなかまどのような構造になっている乾燥棟(キルン塔)を見学。ウイスキーにスモーキーフレーバーを染み込ませるために欠かせないピートの実物に触れ、手触りや香りを感じました。
 その次に向かったのは、単式蒸溜器が並ぶ蒸溜棟。余市蒸溜所では世界で唯一、昔ながらの伝統的な製法である石炭直火蒸溜を創業当初以来今もなお行っています。適切な火力が保たれるよう小まめに石炭をくべなければならないため、温度調節が難しく熟練の技が必要とされますが、このひと手間が余市のモルト原酒の特徴である芳ばしい力強い味と香ばしい香りを生み出しています。
 また、蒸溜器上部のしめ縄も特徴的で、これは実家が造り酒屋である政孝にちなんで、「良いウイスキーが出来るように」との願いを込めてしめられているものです。

■厳しくも静かな地で熟成を重ねていくウイスキー■
 蒸留を終えたウイスキーの原酒は、アルコール分を63%程度に調整した上で樽に詰められ、短いものでも5年程度、長いものでは数十年もの期間にわたり貯蔵されます。樽の中の原酒は木目を通して呼吸し、樽材の成分や周囲の気温・湿度等の条件により様々な個性を持つ原酒へと成長していきます。
 原酒が増えるにつれ貯蔵庫も増えていき、現在では26棟の貯蔵庫がありますが、見学をした第1号貯蔵庫では、創業当初に詰められたウイスキーの原酒が開封の時を待ちながら今なお熟成を重ねています。

■日本とスコットランドの文化が交わる邸宅■
 普段は一般公開されていない、政孝がリタ夫人と暮らした「旧竹鶴邸」内部の見学も行いました。スコットランド留学中に出会い、家族の反対を押し切り国際結婚を果たした2人は、日本とスコットランドの文化を尊重し合い、結婚生活を送りました。旧竹鶴邸も、外観は洋風でありながら、庭には灯篭があり、内装にも和風の意匠も多く見られるなど、和洋折衷の造りとなっています。
 和室のとある襖を開けると、中にはなんと男性用のトイレが備え付けられています。これは、毎晩、ウイスキーのボトルを1本空けていたという政孝のために作られたものです。政孝の「本物のウイスキーづくり」への情熱は私生活においても根付いていました。

アサヒグループホールディングスへの質問と回答

社会広聴会員:
どうして余市蒸溜所では、世界で唯一、石炭直火蒸溜を採用し続けているのですか。
アサヒグループホールディングス:
現在、世界各地の蒸溜所では、操作性や生産性などの観点から、蒸気を用いて蒸溜を行うスチーム間接蒸溜が主流となっています。石炭直火蒸溜は、1人の職人が1日に1.5トンもの石炭を手作業でくべ続けなければならず、温度を調整するなど技術も経験も要しますが、竹鶴政孝の思いを引き継ぎ、創業当初から続く余市ならではの香り高く力強いモルト原酒を生み出すため、手間を惜しまず伝統の技を守っています。
 

社会広聴会員:
ウイスキーの味わいや香りを決めるブレンダーは何名いますか。
アサヒグループホールディングス:
チーフブレンダー1名、ブレンダー4名の計5名で当社の全てのウイスキーの処方を決めています。毎年、春から夏にかけて、原酒が貯蔵されている余市蒸溜所、宮城峡蒸溜所、栃木工場の3カ所を行脚し、数百本ずつのサンプルを吟味しブレンドしながら、各銘柄の処方を決めています。
 

社会広聴会員:
ウイスキーづくりにおいて環境保全の観点から留意していることはありますか。
アサヒグループホールディングス:
ウイスキーは自然がつくるものであり、原料となる水や貯蔵環境に影響する気候風土を良好な状態に保つことは非常に重要で、石炭からのばい煙を抑える装置や省エネ機器を採用するとともに、水辺の清掃活動や森林の保全活動にも力を入れています。
 

社会広聴会員:
近年の世界的なジャパニーズウイスキーブームの影響について教えてください。
アサヒグループホールディングス:
ファンが増加しているのは喜ばしいことですが、長期熟成が必要なウイスキーは需要の大幅な変動に弱く、一部のラインアップについては生産を制限・休止せざるを得ない状況になっています。現在、原酒の増産に注力していますが、その成果がでるのは5年後、10年後になってしまうため、従来から愛飲いただいている商品を十分に供給できていない現状については歯がゆくも感じています。

参加者の感想から

●アサヒグループホールディングスの総合飲料食品グループとしての成長戦略に関する説明や余市蒸溜所の見学を通して、酒類事業やニッカウヰスキーの役割について理解を深めることができました。

●余市蒸溜所は、古き良き伝統を受け継ぎ、それを守り抜く精神と、修繕しながら道具や倉庫など、繰り返し大切に使い続ける技術を培っており、その丁寧な対応が、味わい深く愛着の湧くウイスキーを生み出しているのだと感じました。

●手間がかかる石炭直火蒸留をなぜ続けているのか疑問に思っていましたが、竹鶴政孝の口癖であった「ウイスキーづくりにトリックはない」という言葉がニッカウヰスキーの社風に根付いていて、熟練の職人の技と熱い思いが余市のモルト原酒の個性につながっているということを実感しました。

●余市蒸溜所でつくられるウイスキーの特徴やこだわりなどを工場長から直接教えていただき、良いウイスキーをつくり続けているという自信や、つくり手としての熱意が伝わってきました。今後も余市で、昔からの製法で、素晴らしい製品をつくり続けてほしいです。

アサヒグループホールディングスご担当者より

 このたびは、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の見学にご参加いただき誠にありがとうございました。ニッカウヰスキーのウイスキーづくりにかける思い、こだわりを感じていただけましたでしょうか。また見学をしていただき、多くの貴重なご意見を頂戴したこと、誠に感謝いたします。今回参加された皆さまにとって今回の見学が、アサヒグループに興味を持っていただける機会となれば幸いです。今後もアサヒグループは「食の感動(おいしさ・喜び・新しさ)」を通じて世界で信頼される企業グループを目指してまいります。

お問い合わせ先
経済広報センター 国内広報部
〒100-0004 東京都千代田区大手町1-3-2 経団連会館19階
TEL 03-6741-0021 FAX 03-6741-0022
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