企業と生活者懇談会
2022年12月14日 東京
出席企業:ヤマトホールディングス
見学施設:ヤマトグループ歴史館「クロネコヤマトミュージアム」

「ヤマトグループがお客さまと共に歩んだ100年の歴史を学び、物流業界の未来について考えよう!」

12月14日、ヤマトホールディングスのヤマトグループ歴史館クロネコヤマトミュージアム(東京都港区)で「企業と生活者懇談会」を開催し、社会広聴会員13名が参加しました。まず、ヤマトホールディングスから、会社概要と100周年記念事業として設立された同施設の概要について説明を受けた後、「創業の時代」「大和便と事業多角化の時代」「宅急便の時代」「新たな価値創出の時代」の4つのコーナーを見学しました。また、実際に使用されていた集配車両の乗車体験やセールスドライバー(以下SD)の道具なども見学し、最後に質疑懇談を行いました。
ヤマトホールディングスからは、2022年10月まで同ミュージアムの館長だったコーポレートコミュニケーション部マネージャー白鳥美紀氏が案内しました。

ヤマトホールディングスからの説明

■ヤマトホールディングスの概要
 ヤマトホールディングスは、1919年に日本で初めてトラックを使った運送会社、大和運輸株式会社として創業しました。
 2022年、グループ全体の社員数は約21万人。2021年度年間の宅急便配達数は約22億個に上り、宅急便開始初年度の配達数170万個と比較すると、1300倍以上の宅急便を届けています。
 創業当時、トラックは全国に204台しかありませんでしたが、同社はそのうちの4台を購入し、日本で初めてトラックを使った貨物運送事業を開始しました。その後、定期便を開始し、事業を拡大した第一のイノベーション、宅急便が誕生した第二のイノベーションを経て、2019年に創業100周年を迎えました。
 ヤマトグループの100年の歴史を振り返ると、「変わるべからざるもの」として創業者の小倉康臣が制定した「社訓」があります。「ヤマトは我なり」「運送行為は委託者の意思の延長と知るべし」「思想を堅実に礼節を重んずべし」の3つを掲げています。
 小倉康臣は、会社経営において、経営者が合理的な経営を行ったとしても、会社が社会から認められるためには、一緒に働く一人ひとりの心がけが最も重要であると考え、現在でも毎日社員は社訓3カ条を唱和し、会社を代表して荷物を届けるという使命を持って、日々の業務に取り組んでいます。
 同社は、「豊かな社会の実現に貢献する」を経営理念に掲げ、創業以来、日本初となる「路線事業」や「宅急便」、新たな物流システムの開発など、時代の変化に応じた価値あるサービスを提供してきました。
 近年、様々な産業で電子商取引化が急速に進む中、お客さまのニーズを的確に捉え、新たな価値を創造し、物流事業を通して社会課題の解決に取り組んでいます。

 

■ヤマトグループ歴史館「クロネコヤマトミュージアム」の特徴
 クロネコヤマトミュージアムは、創業100周年事業の一環として設立されました。100年の歩みをたどってみると、そこにはいつもお客さまの存在がありました。お客さまの生活や世の中の移り変わりとともに歩んできた同社は、日頃の感謝の気持ちを伝えるとともに、お客さま自身の歴史も振り返っていただこうという思いを込めて同ミュージアムをオープンしました。
 同施設は、4つのコーナーに分かれており、まず、馬車や大八車が主流だった時代にトラック4台で貨物運送事業を開始したヤマトグループの原点を知る「創業の時代」。次に、1929年日本初の路線事業を開始した大和便と戦前戦後の事業を学ぶ「大和便と事業多角化の時代」。続いて、今日では私たちの生活に欠かせない存在となった宅急便の歴史をたどる「宅急便の時代」。最後に、電子商取引化が進む中、物流事業における新しいサービスについて理解を深める「新たな価値創出の時代」で構成されています。また、「宅急便の時代」には、体験コーナーがあり、宅急便専用集配車両「ウォークスルー車」への乗車や荷物の積み付け体験など、実際にSDの現場を肌で感じることができます。各時代では、年表とともに、ミニチュアの模型や当時の様子が分かる映像や展示など、スロープを下りながら、見学することができます。
 ミュージアムの見学を通じて、今では身近に利用する「宅急便」の仕組みはもちろん、会社として同社の画期的な取り組みや「ネコマーク」の誕生など、危機に直面しても乗り越え、歩んできたヤマトグループの100年の歴史を深く理解することができます。

見学の様子

■創業の時代
 「創業の時代」では、創業の地である銀座の風景と、創業間もない頃の会社の様子を紹介しています。
 大八車や馬車の通行が主流だった1919年当時、銀座4丁目の交差点で日本初の交通整理が行われ、馬車などの通行が禁止となりました。創業者である小倉康臣は、「これからはスピードの時代だ」と自動車に注目し、東京・銀座でトラック運送会社を創業したことが始まりです。また、運転手の応対や服装が会社の信用と品位を代表するものと考え、トラック業界では類のなかった制服・制帽を採用しました。この時代では、フォード社製T型トラックのミニチュア模型や、社員教育に活用した社訓の訓示を吹き込んだレコードの音源で、小倉康臣の肉声を実際に聞くことができます。
 参加者たちは、その後、約14メートルの大型ワイドスクリーンで、「家族4世代とヤマトグループ100年の物語」を視聴し、同社が私たちの生活にいかに身近な存在であるかを理解しました。

 

■大和便と事業多角化の時代
 「大和便と事業多角化の時代」では、日本初の路線事業が生まれた背景や仕組み、戦後に取り組んだ事業の多角化を紹介しています。
 創業間もない頃から、小倉康臣は同じ事業に取り組み続けていたのでは、会社は成長しないと考え、常に新しい事業を模索していました。1927年、視察で訪れたロンドンの運送会社カーターパターソン社のドア・ツー・ドアの定期便の仕組みを日本で作り上げようと決心し、1929年、日本初の路線事業を開始しました。それまでは、百貨店の荷物や引越しなどの貸し切り事業を中心に行っていましたが、定期便を開始することで複数のお客さまの荷物をお届けできる、積み合わせ事業が主体となっていきました。定期便開始から6年後には、関東一円ネットワークを構築し、翌年には名称を「大和便」と変更しました。この「大和便」が現在の「宅急便」のネットワークにつながっています。
 ここでは、当時の配達風景としてリアカーを引くSDのグラフィック、大和便時代の宣伝広告物のレプリカなどが展示されています。その後、太平洋戦争が始まると、同社も大和便事業が休止に追い込まれるといった影響を受けましたが、戦後は復活させ、GHQが日本から引き揚げる際、マッカーサー元帥の引越作業を担当するなど、航空貨物や美術品の梱包輸送など幅広く事業を拡大していきました。
 参加者は、現在の同社のシンボルマークであるネコマークのヒントとなった絵を見ながら、ネコマーク誕生エピソードに大変関心を寄せて説明を聴いていました。


■宅急便の時代
 「宅急便の時代」では、経営の危機に陥った際、同社を救った「宅急便」がどのように誕生し、私たちの生活に定着したのか、その軌跡を紹介しています。
 1950年代の後半から日本は高度経済成長期を迎え、高速道路が急速に整備されました。それを受けて、それまで白物家電の配送は鉄道による貨物コンテナ輸送が主流でしたが、長距離トラック輸送に移行していきました。しかし、その事業参入に同社は大きく乗り遅れ、経営危機に陥ってしまいました。そこで、1971年に2代目社長に就任した小倉昌男は、背水の陣の思いで「宅急便」事業を始めました。当時は、民間企業が家庭から家庭への荷物を運ぶことは採算がとれない、というのが業界の常識であったため、役員会で強く反対されました。しかし、小倉昌男は社内の逆風にも負けず宅急便事業の必要性を訴え、1976年1月、電話1本で集荷・翌日配達をコンセプトにした「宅急便」を開始しました。このコーナーでは、「宅急便」の開発背景のパネルや当時のCМの映像が見学でき、事業開始当初の様子について理解を深めることができました。
 「宅急便」誕生以降、お客さまの多様なニーズに応えるため、スキー宅急便やゴルフ宅急便、クール宅急便と新たなサービスを開始し、「宅急便」が成長していった時代となりました。この成長の時代に、宅急便集配車「ウォークスルー車」が開発されました。
 その後、同社はお客さまが住む地域全てに荷物を届けたいという思いから、1997年にようやく宅急便全国ネットワークを完成させました。ここでは、歴代の情報機器の展示や実物の「ウォークスルー車」への乗車体験をはじめ、SDが使用していた機器の展示の見学や制服の着用など、実際にSDの仕事を体感することができました。また、荷物が届くまでの流れをまとめたパネルも展示されており、宅急便の仕組みについて学ぶことができました。

 

■新たな価値創出の時代
 2000年代以降も、グループの理念として掲げている豊かな社会の実現に貢献するために様々な側面から商品・サービスの提供に取り組んでいます。例えば、ドローンを使った配達の実証実験や地域の困りごとお助けサービスなど、多様化するニーズの中で生み出された物流の新たな価値やライフスタイルの変化に応える形で進化し続けている様子を紹介しています。

ヤマトホールディングスへの質問と回答

社会広聴会員:
企業として、利潤の追求と社会的価値の提供をどのように考えていらっしゃいますか。
ヤマトホールディングス:
「サービスが先、利益は後」2代目社長小倉昌男の理念のもと、日々お客さまのニーズに応えて良いサービスを提供し続けていくことが重要であると考えています。


社会広聴会員:
時間帯お届けサービスが生まれたきっかけは何ですか。
ヤマトホールディングス:
元々、宅急便は、お客さまに手渡しでお届けすることが原則とされています。しかし、働き方が多様化する中で、自分が家にいるときに直接受け取りたいといった多くの要望を受けて、1984年、在宅時配達制度が導入されました。その後、1988年に夜間お届けサービス、1998年に6つの時間帯を選択できる時間帯お届けサービスが誕生しました。

 

社会広聴会員:
ヤマトグループの不在票に切り込みが入っているのは、どのような意味を表すのでしょうか。
ヤマトホールディングス:
1997年、誰もが使いやすいサービスにとの思いからヤマトグループの不在票に切り込みがつけられました。ある時、視覚障がいがある社員が、同じように目の不自由な友人から、「ポストに入っていた不在票がどこの宅配便か分からず、一人暮らしのため確認できる人もおらず不便だ。」という話を聞きました。その後、同社員は目の不自由な人でもクロネコヤマトの宅急便だと分かるような工夫が必要だと会社に提案した結果、クロネコヤマトの宅急便だと連想できるような猫の耳の形の切り込みを入れた不在票が誕生しました。

 

社会広聴会員:
ヤマトグループ歴史館運営の意義とは何ですか。 
ヤマトホールディングス:
ヤマトグループ100年の歴史は、お客さまの生活や社会に寄り添い、お客さまと一緒に歩みながら作り上げてきたものです。来館されるお客さまがそれぞれの立場でヤマトグループとのつながりを感じていただくとともに、お客さま自身の歴史も振り返っていただくことを意義としています。

参加者からの感想

●社会インフラとなった宅急便が開発されるまでのヤマトグループの歴史を学ぶことができ、非常に有意義な時間でした。経営危機をバネにして、イノベーションを生み出したことを聴き、現在の日本企業にも参考になる話だと感じました。

●ヤマトグループは日々利用し、大変身近な存在ですが、知らないことばかりで興味深くミュージアムを見学させていただきました。また、丁寧な荷物のお届けが評価され、婚礼輸送や美術品輸送など事業を拡大したことを知り、現在にも受け継がれていると実感しました。

●クロネコヤマトミュージアムは、会社の歴史を深く知ることができ、お客さまのためにというスタイルが会社の発展につながっているのだなと強く感じました。また、懇談会では参加者の様々な意見を聞くことができて楽しい時間でした。

●懇談会を通じて、宅急便の素地として路線便があったことや、ヤマトグループの経営者自身に進取の気性があったことを学ぶことができ、有意義な1日となりました。

ヤマトホールディングス ご担当者より

 企業と生活者懇談会に当館を選んでいただきありがとうございました。当日は、感染拡大防止のため人数を制限させていただき、参加ご希望の方全員をご案内できず申し訳ございませんでした。参加の皆さまには、展示を通して当社の歴史を支えてきた「イノベーションを起こすチャレンジ精神」と社訓を始めとする「企業理念」をご理解いただけたのではないかと思います。これからもお客さまと共に歩んでまいりますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

お問い合わせ先
経済広報センター 国内広報部
〒100-0004 東京都千代田区大手町1-3-2 経団連会館19階
TEL 03-6741-0021 FAX 03-6741-0022
pagetop