生活者の企業施設見学会
2017年11月8日 東京
主催企業:伊勢半
見学施設:伊勢半本店 紅(べに)ミュージアム

「日本伝統の『紅』の輝きを知る~江戸から現代をつなぐ日本の文化と美意識」

2017年11月8日、伊勢半本店 紅ミュージアム(東京都港区)で、「生活者の企業施設見学会」を開催し、社会広聴会員20名が参加しました。

概要説明

 伊勢半グループは、1825年(文政8年)に江戸日本橋小舟町で創業した紅屋「伊勢屋半右衛門」から始まりました。明治初期になると欧米から安価で色鮮やかな化学染料が輸入・販売され、紅屋は衰退します。そんな中、最後の紅屋として紅を守り続ける一方、スティック状の口紅などの近代化粧品の開発、新聞全面カラー広告やパーフェクト・セルフ・パッケージシステムなど業界初のユニークな広告・販売方式を導入し、総合化粧品メーカーとして成長・変革を遂げました。 
 同グループは、紅事業を守りグループの基幹業務を行う「伊勢半本店」、“キスミー”などの幅広いラインアップを展開する「伊勢半」など、7つの企業で構成されます。ブランドコンセプト「あしたは、もっと美しく」の下、「革新と独創のセルフメイクで、世界を塗り替える」をビジョンに掲げています。 
 2003年(平成15年)に江戸開府400年行事で千代田区神保町に「紅資料館」をオープンしたことを契機に、2005年(平成17年)に港区南青山に「伊勢半本店紅資料館」をオープン、翌年に「伊勢半本店 紅ミュージアム」と改称しました。「紅を見て、紅に触れ、紅を知る」をコンセプトに、紅の文化と技を途切れることなく未来へつなげていくことを願って建てられました。常設展のほか、「江戸時代」「職人の技」「化粧」などをキーワードにした企画展や江戸化粧再現講座、紅の色彩的な魅力を体験するサロン、教育普及事業など、国内外の人々に日本で育まれた文化や美意識を発信しています。 

見学の様子

 「展示室」で、紅の起源・伝来・普及、文化・風習を学びました。紅は、紅花の黄色の花弁に1パーセントだけ含まれる赤色色素から作られます。原産は中近東・エジプトといわれ、書物にも呉の染料を意味する「呉藍(くれない)」と記されていることから、3世紀中頃に中国から伝来したと考えられています。奈良県の纒向(まきむく)遺跡でも排水溝に大量の紅花の花粉が発見されていて、古代から、紅の赤は、魔除けや薬として通過儀礼や年中行事に用いられてきました。 
 山形県最上地方は、日中と朝晩の寒暖差が激しい気候が中近東と似ていて、京都に1週間程度で輸送する北前船のルートが確立されていたため、江戸時代には一大生産地となりました。この地で品種改良された「最上紅花」は当時の番付で東の大関と評され、高品質でした。4月に種をまき、夏至から11日目に当たる半夏生(はんげしょう)の日に必ず最初の一輪が咲きます。それを合図に次々と紅花が開花していきます。3日ほどで花弁が扇形に開き、下3分の1が赤くなったら、朝露に濡れた花弁を朝4時頃から太陽が昇るまで手摘みします。高品質の花弁が収穫できるのはたった1日と聞き、参加者は驚いていました。 
 収穫後には「紅餅」を作ります。流水で米を研ぐようにして花弁から黄色い色素を洗い流し、3~7日間、朝昼晩と水を打って混ぜ、空気を含ませて発酵させます。真っ赤になった花弁を杵と臼でついて粘り気を出し、ピンポン玉の大きさに丸め、煎餅状につぶして天日干しにしたら完成です。山形の紅花農家は約40軒で、そのうち紅餅を作れる方は10人ほどです。その技術を引き継ぐため、同グループも後継者の育成を支援しています。 
 高品質の証しである玉虫色の紅の製法は秘伝ですが、一部を公開しています。まず、紅餅を一晩水でふやかし、アルカリや酸の溶液を入れ、赤色色素を抽出します。そこに、「ゾク」と呼ばれる麻の束を浸して赤色を吸着させ、純度の高い赤色色素を取り出し、セイロに流し込むと、水が切れて泥状の紅が出来上がります。これを猪口などに刷いて乾燥させると、玉虫色の輝きを放ちます。玉虫色になる理由は不明で、赤色色素の純度が高く粒子が細かくなった時に乱反射すると、赤の反対色の緑色に見えるようです。紅作りは女人禁制で、同グループ7代目澤田一郎氏と2人の職人が、創業当時の伝統製法を口伝で受け継いでいます。
 江戸時代後期には、美容本『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』が大ヒットしました。「化粧」を「けしょう」と読むときは「メイクアップ」、「けわい」と読むときは「メイクアップ」や「立ち振る舞い」美容全般を意味します。化粧は、紅の「赤」、白粉の「白」、眉墨・お歯黒の「黒」の3色で彩られていました。文化文政期(1804~1830年)になると、「小町紅」「光紅(ひかりべに)」などの玉虫色の紅を贅沢に塗って唇を緑色にする「笹紅(ささべに)」が流行します。紅ひと点しが現在の600~700円と高価だったため、笹紅は富裕層のステータス。流行を取り入れたい女性たちは、ベースに薄く墨を塗って紅を点すとほんのり玉虫色に見える裏技を編み出しました。また、紅屋の販売戦略として、寒の丑の日に売り出す「寒中丑紅(かんちゅううしべに)」のおまけに牛の置物をつけました。この置物を座布団にのせ、神棚に置いておくと、その年は着るものに困らないといわれ、大人気となりました。
 次に、「サロン」で紅点しを体験しました。紅筆で紅猪口から紅を取って唇に塗ると、油分が入っていないため付け心地が軽く、みるみるうちに唇の地の色に溶け込んでいきます。水で溶いて濃度を調整しますが、少量でも鮮やかな発色です。面白いのは、体調や唇の状態で発色する色味が異なることです。参加者は鮮やかな赤色に目を輝かせ、色の違いを見比べていました。
 最後に、企画展「近代香粧品なぞらえ博覧会」で、国産香粧品の近代化の歴史をたどりました。まず、西洋化の影響で、商品が従来の原材料による区分だけでなく、質感や使用感ごとに分類されました。そして、1887年(明治20年)以降、容器にガラスや商品名にカタカナを使うなどの「視覚」、合成ムスクやスミレの香りがする合成成分イオノンを付香するなどの「嗅覚」から近代化が始まりました。さらに、スキンケアの手順「洗浄→キメを整える→うるおいを保つ」も確立。石鹸や化粧水、クリーム、無鉛白粉などで健康美・素肌美を追求しました。参加者は、1917年(大正6年)に国産初のスティック状口紅が誕生したものの、昭和初期までは本紅を使う人が多かったと聞き、紅を身近に感じていました。

参加者の感想から

  「本当の紅はこんなにも自然で味も香りも違うのかと驚きました」「紅餅から製品になるまでの製法が秘伝なのも、職人芸のなせるたまものと感心しました」「江戸からつながる紅文化を継承し、そのブランドを大切にしてきた姿勢に共感を覚えました」「『紅』が人生の節目において大事な役割をもち、女性の化粧道具として長く使われてきたことを知りました」「輸入された化粧・容器・宣伝方法などを上手に模倣しながら消費者へ普及させてきたことが分かりました」

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