企業と生活者懇談会
2013年8月2日 宮城
出席企業:キリン
見学施設:キリンビール仙台工場

「キリンの震災復興と地域貢献」

8月2日、キリンビール仙台工場(宮城県仙台市)で「企業と生活者懇談会」を開催し、生活者11名が参加しました。キリンの会社概要ならびに震災からの復興と地域貢献活動の説明を受けた後、ビール工場を見学し、質疑懇談を行いました。
キリンビール仙台工場から、横田乃里也工場長、内田努副工場長、山下豊禎広報担当部長、キリン コーポレートコミュニケーション部の安倍和文広報担当主査が出席しました。
キリンからの説明
■キリングループの概要■
 キリンビールは、横浜に設立された「ジャパン・ブルワリー」から1888年(明治21年)に発売されました。1907年(明治40年)には、商品名を会社名にした「麒麟麦酒株式会社」が誕生します。
 その後、1970年代、80年代と多角化の歴史を歩みます。特に、1980年代に進出した医薬・医療のライフサイエンスの分野は、現在の事業の大きな柱の一つに成長しました。
 2006年(平成18年)には、長期の経営構想「キリングループビジョン2015」を発表し、海外への多角化、グループのグローバル化を推進。翌年の2007年(平成19年)には「キリンホールディングス株式会社」を設立し、純粋持株会社制へ移行しました。現在、グループの事業別売上高の構成は、国内総合飲料事業が約50%、海外の総合酒類・飲料事業が約30%、医療関係が約20%となっています。
 少子高齢化による人口・需要の減少や若者のアルコール離れなど、国内の酒類および飲料市場環境の厳しさが続くと予想されています。2012年(平成24年)には、新しい長期経営構想「キリングループビジョン2021」を発表。カテゴリーの枠を超えて市場を広く俯瞰し、ブランドを基軸とした経営を推進していくため、2013年(平成25年)、「キリンビール」「キリンビバレッジ」「メルシャン」の3社を統括する機能として、国内綜合飲料会社「キリン株式会社」が設立されました。新たにCSV(Creating Shared Value 社会と共有できる価値の創造)本部を設置し、お客様や社会・地域の課題解決につながる事業活動を実践することにより、企業のブランドのさらなる価値向上を目指しています。
 
■震災からの復興■
 仙台工場は1923年(大正12年)に創業を開始しました。1983年(昭和58年)に仙台港に隣接する現在の場所に移転し、今年で30年目を迎えます。工場の敷地面積は約10万坪、従業員は200名弱です。ビール・発泡酒・新ジャンルの発泡酒を製造し、東北6県と新潟に供給しています。
 2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、震度6強の地震が発生しました。マニュアルでは工場内のグランドに避難することになっていましたが、急遽、津波避難ビルに指定されていた工場内建屋の屋上に避難しました。避難した人の中には、工場見学の人や、近隣住民など社外の人が多数含まれていましたが、幸いけが人もなく全員無事に避難することができました。
 屋上に避難して約1時間が経過したころ、仙台港では7.6メートルの津波が発生し、海抜5メートルにある仙台工場にも最大2.5メートルの波が押し寄せてきました。海側にあった製品倉庫には津波が直撃し、製品やパレットなど、あらゆるものが押し流され、工場内の建物も浸水しました。その日は、高齢者や子どもに防寒用の毛布や食料を優先的に提供しながら一夜を過ごし、翌日には自衛隊の協力を仰いで、避難者は、近隣の避難所や自宅に移動することができました。
 さらに4月7日には震度6強の余震が発生。3.11による設備の損傷が拡大しました。
 被害が甚大なため、工場の閉鎖がうわさされましたが、当時の松沢社長が、同日の記者会見で工場の継続を宣言し、多くの従業員の気持ちが、これをきっかけに前向きになりました。
 今回の震災では、350ミリリットルの缶に換算すると1750万本もの製品が流されました。工場の外にも様々なものが流れて、近隣の人々に迷惑を掛けていたので、工場の外の回収を優先し、その後、工場内の清掃作業に取り掛かりました。回収された缶や瓶などは、工場内のグランドに高く積み上げられ、においもあり、ハエもたかっている状態でした。慣れない作業で、辛く危険でしたが、安全面と衛生面に配慮し、約3カ月の作業をけが人なく乗り切ることができました。
 また、清掃作業によって、従業員同士が密度の濃いフェース ツー フェースのコミュニケーションを図ることが多くなり、その後のビールづくりにも生かされる結果となりました。
 その後、比較的立ち上げが容易な製品倉庫を最初に立ち上げ、関東から製品を運搬し、それを積み替えて東北に供給しました。その模様を収めたテレビコマーシャルが放映されましたが、従業員は、コマーシャルを見た方から声を掛けられて元気づけられました。
 清掃作業にある程度めどが立ったころ、工程の復旧に着手し始めましたが、困難を極めました。ビールづくりは、発酵や貯蔵の工程があり、大変時間がかかります。さらに、蒸気や排水処理など周辺の工程が立ち上がらないと本流の工程が動かせないこともあり、仕込みを開始できたのは9月になってからでした。最初に『一番搾りとれたてホップ生ビール』というブランドを生産しましたが、原料のホップを生産している岩手県遠野市の市長が、仕込み式に参加しました。この時の模様は、2本目のテレビコマーシャルに収められています。
 11月に、ようやく最初の製品を出荷することができましたが、この時の模様が3本目のコマーシャルとして全国に放映されました。
 
■震災の教訓■
 仙台工場では、今回の震災の教訓を生かし、防災計画を見直しました。屋上への避難を完了するまでに約40分もかかってしまった反省から、早期の避難を実現するため、別の場所に一次避難所を設けることにしました。また、工場内に場内放送設備とつながっている地震計を設置し、震度5強以上になると一斉に放送が流れるシステムを構築しました。このシステムは、携帯メールの緊急地震速報よりも早く情報がキャッチできるため、早期の避難実施につながります。耐震補強を実施し、備蓄が不足していた反省から、十分な量を保管しました。また、通信手段が確保できなかった反省から、仙台市の防災行政無線と社内用の無線を常備しています。
 
■キリンの復興支援活動■
 工場は復旧しましたが、被災地の復興は道半ばです。キリングループでは、全社一丸となって、「復興応援 キリン絆プロジェクト」に取り組んでいます。同プロジェクトの復興支援活動は、“地域食文化・食産業の復興支援”“子どもの笑顔づくり支援”“心と体の元気サポート”の3つの幹で活動しており、商品の売り上げや利益の一部、およびグループ各社の従業員や家族からの募金を資金としています。
 “地域食文化・食産業の復興支援”は、復興の経済基盤をつくるという中期的課題への取り組みです。震災で被害を受けた農業および水産業の復興支援を実施しています。現在は、東北大学と連携し、若手の農業経営者を育成するためのカリキュラムにも取り組んでいます。“子どもの笑顔づくり支援”は、次世代の担い手を育てるという長期的課題への取り組みです。農業高校および農業科の高校生に返還義務のない奨学金を給付することや、日本農芸化学会の協力による理科教育支援などの取り組みを実施しています。“心と体の元気サポート”では、日本サッカー協会(JFA)と、被災地の小学校を訪問し、体育の授業の一環として、元サッカー日本代表選手などによるサッカー教室を開催しています。また、東北六魂祭の支援にも取り組んでいます。
 仙台工場は、現在の場所に移転してからの30年間、工場周辺の清掃活動や、近隣のNPO団体や小学校と協働しての蒲生海岸清掃などのボランティア活動を、グループ会社の従業員と共に継続して実施してきました。この活動が評価され、「平成25年春の褒章」にて、「緑綬褒章」を受章しました。2013年4月には、三陸森の会・宮城森の会が主催する「復興の森植樹活動」に協力し、東日本大震災により甚大な被害を受けた海岸防災林の復旧・再生を目的に、仙台市若林区荒浜海岸沿いの国有林にクロマツ、オオヤマザクラなどの樹木610本を植樹しました。
見学の様子
■キリンビール仙台工場■
 ビールづくりの最初の工程は製麦です。二条大麦に水を含ませ発芽させ、乾燥室に入れて成長を止め、根の部分を除去し、ビールの原料となる麦芽(モルト)が出来上がります。
 醸造工場の入り口には、ビールの主な原料となる麦芽とホップが展示されていて、麦芽の試食ができます。参加者は、ビールのおつまみのような感覚で、香ばしい味を楽しんでいました。
 次の工程は仕込みです。仕込み釜で砕いた麦芽を煮込んでつくった麦汁(ばくじゅう)にホップを加えてビール独特の香りと苦味を引き出します。麦汁は、試飲することができました。ちょっと苦味のある麦茶に砂糖を混ぜたような独特の味わいです。麦汁は、屋外にある発酵タンクの中で、ビール酵母と混ぜられ、アルコールと炭酸ガスが発生し、約1週間で「若ビール」が誕生します。発酵タンクには、350ミリリットルの缶に換算して約100万本分ものビールが入りますが、仮に1人でタンクのビールを飲み干そうとした場合、1日1本飲むとして、2700年もかかる計算になるそうです。
 「若ビール」は、口当たりがピリッとしていて、まろやかさが足りないので、低温で1~2カ月貯蔵・熟成し、調和のとれた風味や香りが生まれます。見学者は、高さが19メートルに及ぶ貯蔵タンクの模型の通路を進み、低温貯蔵されている様子を体感することができます。
  熟成を終えたビールは、ろ過機に通され、酵母やたんぱく質が取り除かれて、澄んだ琥珀色の美味しいビールが誕生します。その後、厳しい検査に合格したビールだけが、搬送用の箱やケースに詰められ、消費者の元へと出荷されていきます。
キリンへの質問回答

社会広聴会員:
ビールに描かれている「キリン」の由来は。
キリン:
明治時代は横浜に外国人居留地があり、そこに住む外国人が輸入していたビールには、動物がシンボルマークに使われていることが多かったため、国産のビールにも同様に動物のマークを付けようということになり、キリンがシンボルマークに選ばれました。キリンビールに描かれているキリンは、古代中国の想像上の動物で、世の中に良いことが起きる前兆として姿を現すといわれています。
 

社会広聴会員:
ビールの味の決め手を教えてください。
キリン
 良質な原料(麦芽、ホップ、水)と酵母の組み合わせが味の決め手です。原料の品質はその年の生育状況によって左右されやすく、酵母も活性の度合いが変動します。原料や酵母が変化しても味が一定になるようにするのがビールづくりで大変難しいところです。
 
社会広聴会員:
開発中のビールは何種類ありますか。 
キリン:
 約20種類です。年間何千もの仕込みが実施され、様々な試験を繰り返しながら、約20種類に絞り込み、最終的に年間1つか2つの商品が世の中に出ていきます。
 
社会広聴会員:
震災前と後で、ビールの味に違いがありますか。 
キリン:
自信を持って全く同じであると申し上げます。工場の電気が復旧するまでに4カ月かかってしまったので、タンクに残っていたビールは残念ながら廃棄し、新しくつくり直しましたが、震災前の品質で皆さまにお届けしています。
 
社会広聴会員:
仙台市内で美味しいビールが飲める店は。 
キリン:
キリンビールが置いてある店がすべて美味しいと申し上げるしか……。ただ、生ビールは、店に設置している生ビールサーバーのメンテナンス状況やグラスの管理状況によって味が左右されてしまいますので、このことを当社の営業がお店の皆さまにお伝えする活動に力を入れています。
 
参加者からの感想から
●従業員や近隣の方の命が助けられたこと、元気を失った子どもたちを笑顔にしてきたこと、企業の社会的責任や地域への貢献という理念の粋を超えて人間社会のあるべき姿を教えていただきました。

●工場見学にもキリンの考え方が徹底しており、キリンが優良企業であることを再認識しました。「復興応援キリン絆プロジェクト」も非常に社会貢献度が高いものです。私もキリンビールを愛飲してささやかなお手伝いをしたいと思いました。
 
●工場周辺の環境保全にも努力されていることに敬意を表します。また、震災から短期間で復興されたのは驚きです。この酷暑にはビールが一番。供給量が十分で、手軽に飲める幸せを感じています。
 
●同じ味のビールをつくるため様々なご苦労をされているとのお話しを伺い、漫然と飲むのはもったいないと感じました。終始和やかな雰囲気で楽しい懇談会でした。
 
●震災からその後の復興までの日々を未来の子どもたちにぜひ語り続けてほしいです。CO(二酸化炭素)排出量の少ない運搬を実践するなどの企業努力、まさに「ブランドに責任を持っている」を実践されている企業だと認識しました。
キリンご担当者より
 参加者のお一人から「震災の記憶を風化させないでください」というお言葉をいただきました。2年半という歳月が過ぎましたが仙台工場の周辺でも復興がままならない地域が存在しています。これからも工場は地域の存在として時代の記憶を語り継いでいく必要があると考えています。また、今回の懇談会では商品や企業活動についてのご提案もいただくことができました。お礼を申し上げます。今回ご参加の皆さまのまたのご来場を心よりお待ちしています。
お問い合わせ先
経済広報センター 国内広報部
〒100-0004 東京都千代田区大手町1-3-2 経団連会館19階
TEL 03-6741-0021 FAX 03-6741-0022
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